by Zappie
全ては暗闇に包まれていた。何もない空間の中、ジュスティーヌは自分の手足はおろか、自らの呼吸さえ体感することができない。全ての感覚から解き放たれ、純粋な意識体として、そこに存在していた。
---ここは・・・・どこ?・・・・
自分の身に何が起っているのか。また、自分の身に何がおこったのか、思い出せない。記憶は一秒ごとに更新される感覚に押し流され、思考は次々と深い闇の中に沈んでゆく。深く思考を巡らすことができない。意識が届かない遥か奥底の深層心理では、漠然とした死の不安がとぐろを巻き、自分の存在を支える宇宙の全てが闇の中に引きずり込まれるような恐怖を味わっている。しかしそれをオブラートで包むように、奇妙な心地よさが表面の意識を支配していた。
その心地よさは、「快感」とは別種の感覚だった。何もない肉体から、内蔵だけがずるずると引きずり出され、奈落の底にこぼれ落ちてゆく感じ。或は、失禁する感覚を全身で味わっているような、虚脱感。肉体の感覚なくして、身体の内部に物体が通り抜けてゆく、そして全ては裏返り、露見し、自分の内側が宇宙全体にさらけ出されているようだった。
そして全てが闇の底に吸い込まれると、再び虚無が訪れた。代わって、今まで深層心理の奧に沈んでいた不安と恐怖が全面に満たされ、それと共に、クリアな意識が自分に戻ってくるのが解った。
頭の中に、一筋の光が走った。そして人の声が聞こえる。自分を呼ぶ声。
---ジュスティーヌ---
それは、自分の声だった。
---ジュスティーヌ、ジュスティーヌ---
自分の名前が連呼される毎に、ひとつひとつ肉体の感覚が戻ってくる。それは割れるような頭痛と、筋肉の痛み、内蔵のむかつきとして・・・・あらゆる苦痛の感覚として、甦った。
---ジュスティーヌ---
「・・・・やめて!!」
ジュスティーヌは頭を抱えて叫んだ。両手の感覚を取り戻したことを自覚する暇もなく、爪で頭皮を掻毟った。髪の毛が指に絡まって抜け落ち、胸から込み上げてきた熱いものが、口から流れ出た。目を開く。一瞬のうちに、闇の中から光の世界に引き戻された彼女は、自らの吐瀉物の上に転げ落ちた。
「ジュスティーヌ!!」
誰かが叫んだ。苦痛の渦の中で何とか理性を振り絞り、状況を把握しようと務める。見上げると、青い空。そして数メートル先からこちらに向かって走り寄ってくるボンヤリとした人影は、ジュリエットに違いない。
「ジュスティーヌ、しっかりして。さあ、大きく深呼吸をするの」
ジュリエットは、ジュスティーヌの両肩を抱きかかえ、上下にさすった。
「あなたはずっと意識を失っていたのよ。それが突然、ベッドから飛び起きて、ここまで走ってきたの。びっくりしたわ、海に飛び込むんじゃないかと思って・・・・。また発作が始まったのね」
ジュスティーヌは辺りを見回した。ここは船の甲板、そして自分は手すりにもたれて座っている。すぐ後ろには、海。相変わらず全身の痛みは続いているが、幾らかは意識を冷静に保てるまで落ち着いていた。
「わ、わたしの身体に何が・・・・」
ジュリエットは目をつぶった。ジュスティーヌの問いに、ジュリエットは答えたくないかのように、口を閉ざした。代わりに、心の声が響く。
---あなたは今、『ANGEL』として覚醒しようとしている。何故、今この時、この場所でなのかは解らないけど・・・・多分、どこかでフォウが・・・・だとしたら、きっと、アンチナチュルの仕業・・・・
「『ANGEL』!?」
ジュスティーヌはジュリエットの脳波を声に出して反復した。『ANGEL計画』、それは昨日、彼女の口から聞かされていた。何か、新人類の誕生として、『バベルの塔』に集まった科学者達が開発した超人類達だという。それを、父、アンチナチュルが利用したということも聞いている。そう、我々は今、この「ノア」という船で、バベルの塔を破壊しに向かっているのだ。しかし、フォウとは・・・・。そして、自分が・・・・!?
ジュリエットはジュスティーヌの長い髪にこびり着いた吐瀉物を指で拭いながら、愛しそうに彼女の顔をみつめた。その目が、目の前の苦悩する同じ顔の美少女に語りかけようとしていた。しかし今度は彼女の名を呼ばず、「マザー」としてだった。
---『マザー』、あなたはわたし達の母体。あなたは『ANGEL計画』の最初の犠牲者。そして、全ての『ANGEL』は、あなたの遺伝子を摘出して創造されたの。・・・・わたしやフォウにとって、あなたは『マザー』なのよ。・・・・フォウが覚醒したらしいわ。この世界のどこかにいるわたしの唯一の兄弟。そしてあなたの子供・・・・。わたしはこの通り、できそこないの『ANGEL』だけどね。でも、あなたを無人島から救出するには十分な力はあったし。
ジュリエットは着ていた衣服の胸のボタンを外しはじめた。
「・・・・いや、計画の最初の犠牲者は、あなたのお母さんかもね」
上半身の衣服がめくれ、白い肩が露見する。半分さらけだされた背中に、二つの白い突起物が認められた。
「いやっ! やめて!!」
ジュスティーヌは目をつぶり、両手で耳を塞いだ。眼に映るもの、耳に聞こえるもの全てを否定するかのように、再び闇の中に心を閉ざす。
しかし、闇の中に、うっすらとジュリエットの顔がボンヤリと浮かび、水面鏡のようにユラユラと揺れた。ジュスティーヌは悲鳴をあげ、目の前の映像を掻き回した。ジュリエットの、或は自分の顔が、四方にはじけとぶ。
---ジュスティーヌ・・・・ジュスティーヌ・・・・
遠くで自分の名を叫ぶ声がする。その声は、次第に遠ざかっていった。
乱れた水面が元に戻ってゆくように、一度バラバラになった映像が、再びひとつの対象物を写しだした。今度はジュリエットや自分ではなく、一人の見知らぬ少年だった。どこかで見たことがある。そう、一昨日、「ノア」の連絡室のモニターで見た、あの少年だ。
クーデターグループの軍の誰かに連絡を取ろうとして、ソドムの宮殿のコンピューター・ルームへ接続してもらったのだ。しかし宮殿から送り込まれた映像は、クーデターグループでも大統領の一味でもない、一人の少年だった。
少年はモニターの中から不思議そうな顔をしてジュスティーヌを見詰めている。そして、フッと微笑んだ。
モニターが柔らかく波打ち、盛りあがる。少年が両手をかざして、画面からこちら側の世界に出ようとしていた。
「・・・・マザー、僕だよ。フォウだよ。マザー、今、そっちへ行くからね・・・・」
ジュスティーヌは首を左右に振りながら、後ずさった。水がパンパンに入ったビニール袋のように、モニターの画面が膨れ上がり、少年の指がプスリと、穴を空けた。
一気に、羊水の様な半粘着質の液体が吹きだした。勢いで、全裸の少年が投げ出される。投げ出されたまま、死んだように動かない。・・・・その時、ジュスティーヌの脳裏に、眩いフラッシュバックの閃光が走ったかと思うと、ひとつの映像が映し出され、それは目の前に倒れた少年の姿と重なった。
少年が倒れている。檻の中に。檻、といっても、それは巨大な鳥篭のよう。その回りに、四人の男達が、立っていた。四人とも見慣れた顔だが、その中の一人は特に、自分の「よく知っている」人物だった。その男が、背広の内ポケットから一枚の黒いカードを取り出し、少年の手に握らせた。少年は気を失っているらしい。
「私の置き土産だ」
「大統領殿、バケモノを復活させて、後に残されたものを皆殺しにするお積もりですか」
「フッ、軍の奴等め。眼に物見せてくれるわ。・・・・」
四人は笑いながら、去ってゆく。闇夜の向こうに、四人は姿を消した。ややあって、ドアを閉める音、そして、軽いエンジン音がして、風が吹いた。その風は、天然のものではない。何か、プロペラのようなもので、人工的に吹いたもののようだった。
後に残された少年はまだ、気を失い、そこに倒れている。
ふいに少年の身体が光を放ち、それが二度目のフラッシュバックにつながった。・・・・少年が倒れている。
少年の背中には、ジュリエットと同じ、しかしはるかに大きく完全な形ではあったが、白い突起物があった。ヌルヌルとした液体のなかで、身体を小さく折り曲げ、小刻みに奮えだす。背中の突起物がアコーデオンのように両側に向かって広がり、それは少年の全身を覆うばかりの大きな羽になった。ゆっくりと少年が立ち上がる。その立派な翼とは対象的に、生まれたばかりの小鳥のように、奮えていた。
ジュスティーヌは反射的に、少年に近づいてゆく。弱々しく立ち上がる少年は、今にも崩れ落ちてしまいそうに見えた。しかしその身体をささえようと手をさし伸ばしたとき、少年の両手が一瞬の早さでジュスティーヌの両腕を掴み、恐ろしい握力で握りはじめた。その顔は、さっきまでの無垢な笑顔とは懸け離れた、小悪魔のような笑みを浮かべている。
---マザー・・・・
---やめて! わたしはマザーなんかじゃない!
ジュスティーヌは両手を振りほどき、闇の中を走りだした。
まだ数メートルも走り進まない内に、何かに足を踏み外し、落下する。闇の中の逃亡、そしてどこまでも続く無重力の闇の世界へ。それは、先ほどまで漂っていた虚無の空間への逆戻りであった。
もうジュリエットの声は聞こえない。
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遠くでカモメが鳴いていた。
ジュスティーヌは目を開けようとして、顔をしかめた。瞼のすきまから、光の洪水が流れ込んでくる。潮の香りが漂うそよ風に、焼けた頬がヒリリと滲みた。顔に触ろうとしても、両手は縛られ、身動きが出来ない。あまりの窮屈さに足元をモゾモゾ動かすと、爪の間に食い込んだ砂粒が痛かった。
ふいに胸に死ぬような圧迫感を感じて、咳き込んだ。思わず喘ぎ声が漏れる。頭を振って正気を取り戻すと、ようやく視界を取り戻し、目の前に巨大な海が広がった。そして今、自分は一糸まとわぬ姿で、海岸に立ち並ぶ椰子の木のひとつに、グルグル巻きに縛りつけられていることを思いだした。
ジュスティーヌは舌を出して、息をつぎながら、自分の運命を呪った。自分をこんな目にあわせたのは誰か解っている。そして向こうの砂浜に蠢く大きな法螺貝が、さっきから自分を見詰めていることも、ちゃんと知っていた。
それにしても喉が渇いた。みずみずしかった肌は、照り付ける太陽光線と潮風によって、すっかりボロボロになっていた。口内は微かに潤いが残ってはいたが、それはネバネバと糊のように舌にまとわりつくだけで、焼けるような喉の渇きは時とともに酷くなってゆく。
---ジュスティーヌ・・・・
また自分を呼ぶ声がした。今度は男の声だ。しかも、よく聞き覚えのあるあの声だった。
---ジュスティーヌや・・・・
ジュスティーヌは耳を塞いでしまいたかったが、生憎、それは叶わない。歯を食いしばり、精一杯の力を振り絞ってもがいた。しかしそんなことをしても、縄が弱った肌に食い込むだけ。全身にバラバラになるような激痛を感じて、思わず悲鳴をあげた。
そして、恨めしそうに、法螺貝を横目で見やる。法螺貝は先程よりも倍の大きさになっているようだった。
「ジュスティーヌ、聞こえるかい? 私だよ」
ジュスティーヌは勿論、答える気はない。
「どうしたんだい、いつものように返事しておくれ。『お父さん』てな」
「やめてください!!」
有らん限りの力で叫び、そして、ふいに涙がこぼれる。それは彼女の渇ききった身体からは、奇跡の現象だと言えた。彼女にとって、最期の最期まで忘れることのない、崇高なる美徳の欠片だった。
「ジュスティーヌ、今のお前は美しいよ。さすが私が育てた一人娘だ。お前の晴れ姿をこうして見守ることが出来て、私は本当に幸せものだよ。シャンパンが一段と旨く感じるね。この日のためにとっておいた、『マルキ・ド・サド・ブリュレット』だ」
カチン、と、グラスを鳴らす音が聞こえた。
「お前はいつも『世界平和』を望んでいたっけね。今にその理想を叶えてあげるよ」
プッと、吹きだす声が聞こえる。
「まもなく、・・・・今から5時間後ぐらいかな、お前が今いるその島で、核ミサイルの爆破実験を行うんだ。なに、心配はいらないよ。一度コンピューターでシュミレーションさえとってしまえば、もう二度と行う必要はない。これは我が国の未来の為に、そして世界平和の為に、重要な政策なんだ。解ってくれるよな」
暫く笑い声があって、
「どうだ、人生最期の最期に、世界平和に役立てて満足だろう。お前からの実験結果の報告は・・・・ま、あの世に行ってからじっくり聞かせて貰うよ。ははっ。大丈夫さ、地獄から這い上がって、お前に遇いにゆくからな。お前の言う通り、美徳に生きて、不幸に一生を終えた愚か者を報いるという、天国などというものが本当にあればの話しだがな」
そして、いつまで続くとも解らない、笑い声が、海岸に響き渡った。
ジュスティーヌは顔をクシャクシャにして、嗚咽した。今すぐ、死んでしまいたかった。身体全身の苦痛、そして心の激痛。発狂しないのが不思議なぐらいであった。
この時ばかりは、彼女は、自分の屈強な精神を呪わずにはいられなかった。「ジュスティーヌ様ぁ!!」
どこかで、大勢の人が自分の名前を呼ぶ声がする。
「ジュスティーヌ様万歳!!」
それは、大いなる尊敬と、愛着に満ちた声。
「ジュスティーヌ! ジュスティーヌ!」
自分を必要としている人類の雄叫び。
「ジュスティーヌ様、世界に平和を・・・・」
しかしその声は、段々と遠くなり、やがて聞こえなくなった。頭上で、恐ろしい轟音が鳴り響いた。
辺りはもう薄暗く、風が強い。しかしジュスティーヌの弱り切った肌は、寒ささえ既に感じることがなかった。
ジュスティーヌは、フラフラと頭を挙げる。薄目を開けると、小鳥たちが遠くの空に向かって飛んでゆくのが見えた。死神はもうそこまで来ているのだ。
轟音が次第に大きくなってくる。見上げると、幾千もの蛇がうねるように、雲が蠢いていた。ジュスティーヌの全身が、ゼンマイ仕掛けの人形のように、ガタガタと震えだした。
耳をつんざくような轟音。
波の動きが止まり、周囲の空気が固まる。
ジュスティーヌの両目が見開かれた。血が出るほど歯を食いしばり、天空を凝視する。
その時だった。雲がまっぷたつに割けたかと思うと、そこから、黒く、恐ろしく巨大な悪魔のペニスが顔を出し、ジュスティーヌの目にはそれが、まるでスローモーションのように、こちらに落下してくるのが見えた。
ジュスティーヌは、言葉にならない叫び声を挙げた。
その時、眩しい光がジュスティーヌを包みこんだ。
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ジュリエットは、焼け崩れた鉄の塊の上に腰を降ろし、海を見ていた。
全ては終った。海の上に佇む巨大な要塞の最期を見届け、ひとり、感傷に浸っている。まだやることは沢山残っているのだ。束の間の休息、そしてこれから自分を待ち受けている運命を思い返し、志気を奮い立たす時だった。
そして、最終的に自分を待つものは、死。或は、この世からの消滅。それは構わない。最初から常人とは懸け離れた化け物としてこの世に生を受けた以上、それは必然の運命だった。しかし、あの子は・・・・
思えば、自分が出来損ないの『ANGEL』として、ずっと半覚醒状態のまま、生きていることは幸運だった。お陰で一応にも、人間としての理性と美徳を持ちながら、世のために『ANGEL』としての能力を行使することが出来たのだ。
「・・・・まあ、ずいぶんと派手にやってくれたものだな」
ふいに、すぐ後ろに男の足音と声がして、振り向いた。
「あ、あなたは・・・・!」
ジュリエットは驚いて、文字どおり飛び上がり、男から数メートル離れた位置に着地した。人間では考えられない跳躍力だった。男は知らぬ顔で、ポケットに手を突っ込み、辺りを見回している。
「・・・・フトルディオの奴に任すとこの通りだ。たった一隻の船に崩壊するような弱体な防衛力など。テクノロジーというものを解っとらんよ」
男は足元の鉄片を蹴飛ばした。
「いつの間に、どうやって、ここへ来たの?」
「私の可愛い娘はどうした?」
男はジュリエットの言葉には答えず、逆に問い掛けた。
「ジュスティーヌなら寝てるわ。この一週間意識不明よ。ずっとうなされてるの。過去の記憶に、苦しんでいるようね」
ジュリエットは恨めしそうに、男を睨んだ。
「まだ覚醒しとらんのか。遅いな。フォウのプロテクトが解除されたと同時に、あいつにも影響を及ぼすはずなのだが。・・・・それにしても、こいつ、余計なことをしおって。あの娘は私がこの手で処刑したつもりだったのに・・・・まあ、いい。殺人マシーンと化した、正義と博愛の国民的美少女という余興も、面白かろう」
「そう巧くいくかしら?」
ジュリエットは含み笑いをした。「彼女がなかなか覚醒しないのは、あの子の強固な『意志』が邪魔しているからよ。・・・・そんなことより、我が身の心配をしたらどうなの?」
ジュリエットは身構えた。『ANGEL』としての能力は半人前だが、目の前の生身の人間を数秒で確実に殺すことなど、容易いことだった。しかし、男は不敵に笑う。
「そう急ぐな。私の話しを聞け。お前は、私と一緒に来るんだよ。お前の仕事は半年後に残っている。私の理想の良きアシスタントとしてね」
「・・・・!」
何を馬鹿なことを、その一言が口から飛び出す前に、ジュリエットの五体は固まった。
アンチナチュルが静かに近づいてくる。その眼は、ジュリエットの瞳を一直線に見詰めていた。そしてその眼光に見据えられながら、ジュリエットの身体は、意志に反して、完全にその動きを封じられている。
「・・・・新人類の誕生。それは画期的な発明だった。私は喜んで、自分の娘をその実験第一号に選んだ。そして彼女の遺伝子から、フォウを創造した。全ては大成功だった。只、或る一点の誤算を除いては・・・・」
ひと呼吸おいて、アンチナチュルが静かに口を開く。「・・・・その誤算とは、ジュスティーヌの美徳だよ。フォウは、母体から、殺戮マシーンとしては酷く余計な判断基準を受け継いでしまった。だから私は、自分の遺伝子から、新たな『ANGEL』を創造した。・・・・それが、お前だ」
ジュリエットの眼が、かっと見開かれた。肉体は動かなくとも、耳は聞こえている。
「解ったか。お前の顔は、整形技術でジュスティーヌに似せてあるだけなのだよ。お前の気付かない心の奥底では、私と同じ、悪徳の炎が燃えさかっているんだ。・・・・今、その証拠を見せてやる」
言うと、アンチナチュルは大きな手をかざし、ジュリエットの顔を撫でるように、上から下へとゆっくりと振りおろした。
ジュリエットの驚愕も束の間。その視界がアンチナチュルの掌に一瞬、遮られたと思うと、彼女の今までの意識はどこかへ消し飛んだ。変って、別の人格が宿ったかのように、彼女の表情は暗く陰湿なものへと豹変する。
アンチナチュルは、自分の娘と同じ顔の美少女の、長い髪を掻き上げると、その唇に接吻した。ジュリエットは直にトロリと目を閉じ、男の身体を抱きしめ返した。いつの間にか肉体は開放されている。新しく甦った、邪悪な魂に。
「・・・・お父さん。わたしは・・・・あなたの・・・・娘です」
「そうだ。それでいい」
アンチナチュルはニヤリと笑うと、ジュリエットの胸を力強く握り締め、千切れんばかりに弄くり回した。ジュリエットは痛がりもせず、アンチナチュルの胸に頭を垂れ、催眠術にかかったように身を委ねている。
「さあいくぞ。半年ばかりの間、ちょっと隠れていなけりゃならん。お前を完全な『ANGEL』にしてやらないといけないしな」
「・・・・ジュスティーヌは?」
「あいつはほっとけば、時期に面白いことになろう。いつまでも覚醒を逃れて苦しんでいる訳にはいかんさ。発狂死したら、それはそれでよし」
アンチナチュルは、歩きだした。下僕のように、ジュリエットがその後につづく。その向こうには、軍事用へリが一台、エンジンをかけたままの状態で留っていた。
遠くで微かに、ジュスティーヌの絶叫が聞こえたが、バベルの塔の廃虚にはもう、誰一人その声を聞くものは残っていなかった。