第五話 鎖の果て

by TOMOMI


  日差しはとても暖かで、大地の喜びは風になり、神への祈りを込めて遠くまでそよいでいく。
  遠くで聞こえるのは雲雀かしら。
  見上げれば空は青く、何処までも青く、時折白い雲が流れていく。
  こんな穏やかな午後、ぼくは広い中庭の中央で現実感をなくしていく。
  広い広い中庭の、その真ん中におかれた鉄の鳥かご。
  絡まる蔦の装飾の施された、美しい鳥かご。僕の鳥かご。
  そしてその中には、僕が居る。
  僕を取り囲む鉄の檻。

  暖かな日差しの中、僕は悪夢を見続ける。目覚めることのない、白昼夢。連日の悪夢。ついさっきまで、自分の隣にいたものが、次の瞬間には驚愕の表情で冷たくなっていく。次は自分の番かもしれない。必死に神に祈っても、聞いてくれる神はここにはいない。打ち砕かれる信仰心。ふと隣を見れば、異国の少女が力一杯瞼を閉じて、彼女の神に祈っている。彼女の神も、ここにはいないらしい。彼女はその数分後、手足をもがれて、芋虫のようになってしまった。
  芋虫の少女。その時彼女はもう、人間なんかには見えなかった。真っ赤な芋虫。美しかったその顔を、恐怖と苦痛にゆがめながら、のたりのたりと逃れようとする。手も、足もなく、それでも、残った全身を使って這っていく姿は恐ろしかった。逃れようとして、逃れられるはずもなく、すさまじい悲鳴と男たちの笑い声の中、血塗れの彼女に馬乗りになった男と、その手に握られていた、大きなナイフ。
  終わらない責め苦。切り刻まれ、一塊の肉片になってもなお・・・。

  こんなに明るい日差しの中でさえ、色あせることのない記憶。耳に残って離れない悲鳴も、すがるように僕に向けられた見開いた瞳も、血の臭いも、無理矢理押し込まれ、喉の奥を通っていった、生暖かい肉の味も、何もかも。

  ここに連れてこられてから、いったい何日が過ぎたのだろう。
  最初あんなにたくさんいた仲間達が、今ではもう、半分以下になってしまった。
  今ではもう、みんな、神に祈るのも疲れてしまった。壊れた人形のように、うつろな瞳で、自分の順番を待っている。
  先に死んでいった奴等は幸せだ。いつ来るかも分からない自分の死に、ただおびえて日々を過ごしていくことの辛さを知らずにすんだのだから。獣のような悲鳴を聞きながら、その苦痛を想像するだけ。ただそれだけの毎日が、どんなに気が狂いそうになることか。だから、ぼくは死んでいった奴等に同情はしない。発狂していった奴等の事も。
  正気のまま、生き残っている僕らの方が、きっと不幸だ。

  突然僕の鳥かごは、大きな音を立てて横倒しになり、その衝撃で痺れるほど肩を打ちつけた。
 「この鳥はちっとも鳴かないね。」
  見上げれば、大きな男が脂ぎった顔を近づけて、にやにやと笑っている。
 「ほら、鳴いてみなよ、美しい声で。ほら、ほら、ほら。」
  ガシャガシャと、大きな音を立てて、かごを揺さぶる。僕は悲鳴を上げようとするけれど、喉の奥に何かが詰まっているように、かすれたような、空気の漏れるような声しか出ない。
 「これこれ、あまり無茶をしてはいけませんなぁ。」
  穏やかな声で、大男の乱暴を制したその男も、紳士然としてはいるが、よく見れば、あの少女の上に馬乗りになっていた男だ。
 「どうだね、このまま火の上にかけるというのは。きっと愉快なダンスを見せてくれるだろうよ。底の方から徐々に熱くなり、かご全体が真赤になるほど熱せられる。その時こそ、軽やかにくるくると踊ってくれるさ。美しい悲鳴をあげて、火ぶくれに醜くなる身体でね。」
  その話を聞いているだけで、僕はもう、失神寸前になっていた。彼らなら、何の躊躇もなくそれをやる。
 「いやいや、この子はもうしばらくこのまま飼っておいてやることにしているのですよ。」
 「それはまたどうしてですかな?貴方らしくもない。」
 「この子はおもしろい逸材ですぞ。豚の中に混じり混んだ子羊ですわ。」
  そう言いながら、手に持った杖をかごの中に突き入れて、僕の足の間にゆっくりと滑らせる。僕の震えがかごに伝わり、かご全体がガタガタと小刻みに振動する。
 「そうやって、恐怖に震えてみせるくせに、ほれ、見てみなさい、あの眼を。脅えながら、期待ににらきらと輝いていく。そしてこれも堅くなっていく。」
  杖で僕の物をつつきながら、楽しげに舌なめずりをする。
 「まぁ、かわいらしい物ですがね。」
  じっと黙ってみていた大男の方が、ふと思いついたように芝生に膝を付き、かごをのぞき込んだ。杖で押さえつけられ、身動きのとれなくなっている僕に手を伸ばす。
  しかし、男の腕は太すぎて、かごの隙間も通らない。
 「ちょっと、出してもよろしいかな?これではわしは触ることもできない。」
 「あまり大きな傷をつけるのでなければどうぞ」
  かごの扉は開かれ、僕は抵抗する間もなく引きずり出された。
 「なんと、細い腕だ。そして、この首も、折ってくれと言っているようですぞ。」
  大男の腕が僕の首を締め上げる。ゆっくりと、少しずつ力を込めていく。僕は苦しくて目眩を起こしかける。頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなってくる。僕はこのまま殺されるのだろうか。あの少女のように切り刻まれるよりはましかもしれない。このまま首を折られた方が、一瞬で死ねるかもしれない。僕は男の手に力のこもるのをかすかに望んだ。それなのに、真っ白になっていく頭の中で、何か違う物が生まれてくる感じがした。それは少し甘い感覚。誰かが僕の頭の中でささやく声がする。
 (もっと、もっと強く・・・)

  不意に大男のもう片方の手が、僕の足を割って入ってくるのを感じた。
 「こいつ、首をしめられて、喜んでやがる。」
  突然首を締め付けていた大男の手の力が緩んだかと思うと僕を芝生の上に放り出した。僕は涙を流しながらせき込み、かすむ眼で男を見た。
 「ふん、こいつで何をする気ですかな?」
  大男は僕の身体を踏みつけて、一別をくれるとすぐにもう一人の男のほうに向きなおる。
 「まぁ、それは追々考えようと・・・ね。最近はちょっとお楽しみがすぎて、豚達の数も一気に減ってしまったし、ここらでちょっと趣向を変えるのもいいかと思いましてね。アンチナチュル殿のように派手なショーもいいが、あれではあっけなさすぎる。」
 「あの演出には、私は十分楽しませてもらったがね。貴公のお気には召さなかったようですな。」
  男の靴底の冷たさを感じながら、意識が薄れていった。全身の痛みと、かすかに残る、甘い痺れを感じたまま。

  徐々に意識を取り戻し、最初に感じたのは微かな大地の揺れ、そして、遠くから聞こえてくる爆発音。何かが起きたことはわかったものの、こんな鉄の鳥かごに入った僕にできることと言えば、耳をすまして、そっと様子をうかがうこと。それだけだ。
  僕は膝を抱え、あたりの物音に注意していたが、最初の爆発音がしてから、何も起こらなかった。僕はふと、肌寒さを感じて自分の肩を抱いた。昼間は暖かなこの季節で も、日が翳ればやはり肌寒い。衣類を何も着ていないのだから、なおのことだ。僕はそっと鉄柵にもたれかかった。鉄の冷たさが直に背中に伝わってくる。
  カチッ・・・
  乾いた金属音がして、鳥かごの扉は僕の背後で開いた。僕はバランスを失い、扉ごと、後ろに倒れ込んだ。したたか背中を打ちつけたものの、気がつくと、僕の髪は外の芝生と絡み合い、頬を草が撫でた。
  僕は外にいる。鳥かごの外にいる。そして回りには誰も居ない。
  ただそれだけの現実を、信じられないで呆然としていた。
  二度目の爆発音で我に返った僕は、ゆっくりと立ち上がり、屋敷の方へ歩き出した。
  振り返ると、遠くに黒い森が見えた。針葉樹が血のように赤い夕日を突き刺しているところだった。

 「何でうまく行かないんだ。これでいいはずなのに、どうして解除できない。」
  蛭田は噛み契った自分の爪の欠片を吐き捨てると、イライラと歩き出した。
  軍の夜襲に乗じて、すばやく屋敷に入り込み、誰よりも早くこのコンピュータールームにたどり着いた。それだけで、蛭田はもう、自分の勝利だと感じていた。ここのコンピューターをコントロールするべきは自分なんだ。
  だがしかし、彼は今、眉間にしわを寄せながら、成すすべもなく、ただイライラと歩き回るだけだった。
  これでいいはずなんだ、何たって、俺はすべて計算してきたんだからな。プログラムの内部に入り込み、ほとんどの設定を解除した。でも、それではまだ完璧じゃない。肝心の部分、一番の深層部分にたどり着けない。誰かが後から書き換えたんだ。そうでなければ自分に解除できないはずはない。時間がないんだ。早くやってしまわなければ・・・
  大きく息を吸い込み、もう一度モニターに向き合う。蛭田がキーに指を伸ばした瞬間、背後でカチリと言う音が聞こえた。
  蛭田は息を飲み、側のデスクの影に身を隠した。
  ゆっくりとドアが開き、そこに現れたシルエットは、どう見ても軍の奴等ではない。かといって、あのいけ好かない爺達でもなかった。それは、ほっそりとした体つきの、まだ12、3才くらいの少年だった。しかも、彼は何も着ておらず、身体には、無数の痣が浮いていた。おそらくは、殺されるために連れてこられた子供達の一人だろう。
  蛭田は心持ち安心して、落ちかけていた眼鏡をかけなおし、息を殺して少年の背後に回った。
  少年はおどおどとあたりを見回し、椅子の上にかけてあった毛布を手にとるとゆっくりと身体にまとい、小さくため息をついた。蛭田はそっとドアの取っ手に手を伸ばし、音をたてないように閉めた。それでも、廊下から漏れていた明かりが細くなっていく事に気づき、少年は振り返り、蛭田の姿を見て目を見開いた。
  とっさに少年の口をふさいだ。今ここで悲鳴でもあげられたら、今までの苦労が水の泡だ。
 「大丈夫、何もしやしないよ。」
  口を塞いだ手から少年の震えが伝わってくる。
 「俺はあの爺達とはちがうからな。おまえがおとなしくしてくれるなら、別にどうこうするつもりはないさ。ここから連れ出してやってもいい。俺の言葉、わかるな。」
  少年は目に涙をためたまま小さくうなずいた。
 「それよりお前、どうしてここに?地下の収容所には軍の奴等が子供達を助けに行ったはずだ。お前だけがどうして?」
 「わからない。僕ずっと、庭の鳥かごの中に入れられていたんだ。でも、突然鍵が開いて、それで・・・」
  しゃくりあげながら、しまいには泣き出して要領を得ない話を聞きながら、蛭田は焦っていた。俺はこんな事をしている暇はないんだ。急がなければ、軍の奴等もここまで来てしまう。外に待たせたままの成男と静香のことも心配だ。
  ふと見ると、涙を拭う少年の手に、小さなカードが握られていることに気がついた。
 「それはどうしたんだ?」
  泣き止まない少年の手から奪い取ったカードは、蛭田が探していた物。ジョーカー、そして切り札。
 「これさえあれば、もう、用はねぇ。」
  蛭田は笑いをこらえたまま、少年を突き放した。
  少年は訳もわからず戸惑ったまま、涙のながれるにまかせて呆然としていた。
 「これはもらってもいいな?おい、お前、ここでじっとしていりゃぁ、軍人さん達が助けてくれるさ。」
  そう言う成り立ちあがった蛭田の足に、少年は必死の顔でしがみついた。
 「いやだ、一人にしないで。僕も連れてってよ。助けてくれるっていったじゃないか。」
  涙を浮かべて必死にすがりつく少年の姿には一瞬躊躇させられる物があったが、今はそんな感情に流されているときではない。蛭田は少年を振り払うと、扉の外に駆け出していった。

 「そんな・・・一人にしないでよ・・・」
  僕は勢いよく閉じられたドアを見つめ、呆然としていた。
  助かったと思ったのに、これでもう、大丈夫だと思ったのに。あっけなく男は去っていってしまった。
  僕は足下に落ちた毛布を拾い上げ、それで裸の身体を包み込んだ。
  目の前には巨大なスクリーン。そして、見たこともないような機械が小さな光を点滅させている。
  突然、目の前のスクリーンが眩しい光を発したかと思うと、そこには一人の美しい少女が映っていた。僕は呆気にとられて、そのスクリーンを見つめていた。
  悲しそうなその少女の瞳はまっすぐに僕を見ていた。ゆっくりとその唇が動き出す。
 「聞こえますか?私の声が聞こえますか?」
  僕は目を見開いたまま大きくうなずいた。美しい声だった。緩やかなウェーブを描いて揺れる金の髪。
 「ああ、貴方、怪我をしていますね。なんて・・・。」
  潤んだ瞳で僕を見つめ、彼女は声をふるわせながら胸の前で組んだ両手を堅く握りしめていた。
 「貴方、今其方はどうなっているのですか?何故貴方はそこにいるのですか?」
 「ここで待っていれば、軍の人が助けてくれるからって、だから此処にいろっていわれて・・・それで・・・」
 「軍の人?それでは、クーデターは始まったのですね?良かった。」
 「貴方は、誰なの?」
  突然画像が乱れ、少女の顔が大きく揺れた。
 「貴方、軍の人に会ったら、私は無事だと伝えて下さいますか?」
  酷くなるノイズ。揺らぎ続けるモニターの少女。
 「貴方は誰なんですか?」
 「私は・・・私はジュスティーヌ。ジュスティーヌ・アンチナチュル。私は無事だと伝えて下さい・・私は・・・・ああ、父が・・・ごめ・・さ・・」
  大きなモニターいっぱいのノイズ。もう、そこに少女の姿はなかった。

つづく


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