完全版
明明光来 |
「つぇんつぇん売れないね。困ったよ」 ミンミンはチャイナ服の隙間から扇子でパタパタ風を送り込みながら、あくびをした。かれこれ5時間ここに座っているのだが、まだひとつも売れていなかった。目の前にはひとつひとつ手で彫った、水晶を抱えた龍の携帯ストラップが綺麗に並んでいる。 「日本人、ケチね。それとも、携帯ストラップは失敗たったあるか?」 ストラップのひとつを手に取ると、それをしげしげと眺めてみる。出来は悪くない。 ミンミンは日本語学校に通いながら、こうして得意の彫刻の腕を生かして小物を作り、それを売って生活費と学費を稼いでいた。 スーツを着たサラリーマンらしき男が立ち止まり、ストラップをしげしげと眺めはじめた。ミンミンの細い瞳が輝いた。 「お兄さん! 竜ちん様の携帯ストラップ。一個千円。水晶ついてて、魔除けにもなるよ。買うある」 男は無言でストラップを手に取ると、暫く眺めて、そのまま元に戻し、去っていった。 「ああ。いっちゃった。タメね。携帯ストラップ。失敗たったあるね」 ミンミンはまた扇子をパタパタやった。春先だというのに今日は日射しが強く、風もなく、妙に暑かった。こうも売れないと、居眠りのひとつもしたくなる。 さらに5時間が経過した。空はすっかり暗くなり、大勢の会社帰りの人達が行き交っている。ストラップはまだひとつも売れない。 女子高生二人組が立ち止まり、ストラップを眺めはじめた。今日二組目の観覧客だ。 一人はちょっと小柄で人形のような可愛い子だったが、もう一人は豚のように太っていて、醜悪なことこの上ない。東南アジア系のように肌がどす黒く、髪をまだらな茶色に染め、妖怪のような化粧をしている。 ミンミンはちょっと疲れた笑顔を浮かべた。 「なにこれ〜?」 可愛い方の女子高生が言った。小さな顔に不釣り合いな、大きな目を見開いて、しげしげと水晶を挟み込んだ木彫りの龍を眺めている。 「携帯ストラップね。一個千円」 ミンミンは答えた。若い女の子にはあまり期待していなかった。どう考えてもこの龍はデザインが渋すぎて、今どきの女の子向けの代物ではない。それでなくても、日本の女子高生がどういう人種かは、噂には聞いている。自分の作った工芸品の趣向など、到底理解できる脳漿を持ち合わせているとは思えなかった。 「ふ〜ん。キレイじゃん」 醜い方の女子高生も興味を示してきた様子である。 「なんか、カッコイイかも」 「意外と好みだよね」 女子高生たちはお互い頷きあいながら、口々に褒めている。ミンミンはちょっとやる気になってきた。 「おちょうさん、その携帯ストラップ。持ってるといいコトあるよ。カレシてきるね。お金もとんとん増えるあるね」 ミンミンは扇子をパッと開いて、にっこり笑ってそう言った。 「ねえ。あなた中国人?」 「そうね。香港から来た。ミンミンと呼んてちょうたい」 「チャイナ服可愛い〜。いつもここで売ってんの?」 「ここては初めてあるね。いろんなところて、いろんなもの売ってるあるね」 「キャー! 『あるね』だって」 「チューゴクジンってやつ?」 「チャイニーズーみたいな?」 女子高生はケラケラ笑いだした。 ミンミンはがっくり肩を落とした。やっぱり女子高生は相手にするだけ無駄だ。 「さあ、おちょうさん。暇つぷしなら他てやるあるね。ミンミン忙しいね。晩安!」 ミンミンはあっちへ行けと言わんばかりに、扇子を女子高生に向けて扇いだ。 「な、何ー。忙しいって、お客さんなんて一人もいないじゃん」 醜い女子高生が、食ってかかる。歯並びがやたら悪くて、牙のように見えた。 「とにかく買わないんなら帰るある」 「まだ買うか買わないか解らないじゃーん。失礼ね! こいつチョームカ!」 女子高生は怒って、手にしていた携帯ストラップを人込みの中に放り投げた。 「あっ! 何するあるか!」 「天罰よ。あはは」 ミンミンは扇子で女子高生の頭をパシッと叩くと、龍が飛んで行った方向に走っていった。背後で女子高生が「いたっ」と叫ぶ。 「ふざけんじゃねえよ!」 「ねえマミ、もう行こうよ」 「あいつスゲー、むかつく!」 ミンミンは女子高生の方を振り向いて、べっと舌を出した。醜い方が、声にならない奇声を発して、飛びかかろうとしているのを、可愛い方がその衣服の一部を掴んで引き止めていた。ミンミンは構わず探し物を始めた。 扇子を開いて額にかざし、日光を遮りつつ屈んで歩いてゆくと、十数歩離れた歩道の真中に、ストラップが落ちているのを見つけた。ミンミンは駆け寄ってそれを拾い、傷が付いてないかチェックしながら、売り場に戻る。 「危ない危ない。こんなときのお守りに、護符を貼っておいてよかったあるね」 ストラップの紐の部分には、小さな黄色い紙に朱の文字で「天鬼」と書かれた護符が貼ってあった。ミンミンは代々中国秘術の家系の生まれで、祖父は妙炎大法師という霊能者だった。その影響で、ミンミンも多少の法術は心得ている。しかし龍が地面にたたきつけられて壊れなかったのが、護符の効用かどうかは定かではない。 売り場に戻ると、もう女子高生はいなかった。ミンミンは椅子に座ってあくびをした。 日本に来る直前、法師の祖父が言った言葉を思い出す。 「明明(ミンミン)。来年の3月までには帰って来るのだぞ。4月以降、日本の方角はお前にとって凶方位に入るゆえ、必ずや災いふりかかるであろう」 確かに4月に入ってから、運気は最悪になっていた。小物は売れなくなるし、日本人には馬鹿にされっぱなしだった。しかし、ミンミンにはまだ帰れない理由がある。 ミンミンは売店に戻ると、バックの中から大きな龍の彫物を取り出した。 これをあの人に渡すまでは、帰る訳にはいかない。 ミンミンは一昨年、香港で一人の日本人の旅行者と知り合った。彼女が香港で家族と営んでいた手作り雑貨店に、客としてやってきたのだった。 とても感じの良い青年で、ミンミンはすぐにその青年が気に入った。笑顔がさわやかで、英語も巧く、初めて会うのにとても気さくに話してくれる。日本人の旅行者はよくやって来るのだが、彼は他のどの日本人とも違っていた。 「日本のどこに住んでるあるか?」 「東京」 「へえ。一度行ってみたいね、東京って。仕事は何してるの?」 「小さな広告会社を経営してるんだ」 「じゃ、社長さんね。偉いあるね」 「そんなことはないよ」 そう言って、青年は微かに表情を曇らせた。ミンミンはその時、青年の陽気な態度の裏に隠れた一抹の陰を見つけたような気がした。 その日青年は、小さな龍の彫物を買っていった。 次の日、ミンミンは香港の繁華街で買い物をしている途中、偶然にその青年と再会した。青年はぼんやりと、忙しそうに流れる人の波を眺めながら、壁にもたれて煙草を吸っていた。 自分をじっと見つめているミンミンに気が付くと、目を見開いて、大きな笑顔を作り、近づいてきた。 「やあ。君は昨日の」 「偶然だね。こんなところで何してるあるか?」 「別に。ボーッとしてただけ」 「これも何かの縁ね。お茶でも飲みに行くあるよ」 ミンミンは青年を近くの喫茶店まで連れていった。二人は長きに渡って、いろいろな話をした。日本の話し。香港の話し。お互いの生活について。ミンミンは英語が苦手だったが、身ぶり手ぶりで何とか話した。話しているうちに、青年も気軽になってきて、まるで二人は親友のように、笑い合い、語り合った。それと同時に、青年の笑顔の仮面に隠された、陰の部分も露になった。 「日本はいまデフレでね、大変なんだ」 「デフレ。なにそれ?」 「モノがどんどん売れなくなって、モノがどんどん安くなって、給料がどんどん安くなっていく社会現象さ」 「難しいね。ミンミンそういうの苦手あるね」 「とにかくみんな貧乏になって、何も買わなくなるから、モノが売れなくなるんだよ。こういう時に、企業がまっ先に切るのは僕たち広告会社ってわけ。最近それで、大口のクライアントがごっそり抜けちゃってね。大変なんだ。僕の会社」 経済の話はさっぱりだったが、とにかく青年の事業がいま大変な状態なのは解った。ミンミンは、頬杖をついて窓の外の雑踏を眺める青年を見て、いいことを思いついた。 「そうだ。あんた、昨日買った龍持ってるあるか?」 「これかい?」 青年は、鞄から紙袋に包まれた龍の彫物を取り出した。ミンミンはそれを受け取ると、自分のポケットに入れて、その代金を青年に返した。 「こんなものより、もっと御利益のある大きな龍のお守り作ってあげるよ。それを持って帰るよろし」 「本当? 嬉しいな。でも、何もそれまで返さなくても」 「同じお守りふたつ持ったら駄目ね。片方の神様が嫉妬して、御利益下がっちゃうね」 青年は笑った。ミンミンも笑った。「一生懸命作るよ。一週間だけ待つある」 「あ。ごめん。僕は明日帰るんだ」 「じゃ、住所教えて。ちゃんと送ってあげる。約束するね。お金いらない」 それから1週間かけて、ミンミンは精魂込めて龍の彫物を彫り上げた。そして青年に教えてもらった住所に送った。 しかし、郵便は住所不明で彼女の元に戻ってきてしまった。 ミンミンは龍を机に置くと、ため息をついた。いつになったら彼に会えるのだろう。 「あんな広い香港の街で2回も会った。たからきっとまた、会える」 ミンミンはそう信じていた。彼女がいろいろな街で小物売をしている理由のひとつに、こうして人通りの多い場所に一日中いれば、ひょっとしたら青年に出会えるかもしれないというのがあった。 「あれ? 龍が足りないあるね」 ミンミンは机に並べられたストラップの数がふたつ足りないのに気が付いた。きっと、あの女子高生が盗んだに違いない。ミンミンは辺りを見回した。女子高生の姿は見えない。 「仕方ないあるね」 ミンミンは右手の拳を握り、人さし指と中指を立てて剣の形を作ると、中国語で呪文を唱えながら指先に気を込めて北斗七星の形に素早く振った。 「キャーーーッ!!!」 遠方で女性の悲鳴がした。さっきの女子高生達の声だった。 「あっちね」 ミンミンは扇子を握りしめると、声のする方へと走って行った。見ると、女子高生ふたりが歩道の真ん中で、地面に根をはったように、動けず立ちすくんでいる。ミンミンはもう一度右手を剣印の形にすると、呪文を唱えてさっきと逆方向に振った。必死に動こうとしていた女子高生二人は、いきなり両足が自由になったため、もんどりうって地面に倒れこんだ。ミンミンは二人に近づくと、扇子で二人の頭をパンパンと叩いた。 「いてえなあ! 畜生!」 「マミ、だから言ったじゃん」 可愛い女子高生が詰まらなそうな顔で、不細工な女子高生の頭を小突く。 「さあ。盗んだもの、返すある」 女子高生は地面に尻餅をついたまま、恨めしそうな顔でミンミンを睨むと、ゆっくりポケットに手を入れた。 ミンミンは手を差出した。 その刹那、ミンミンのお腹に激痛が走った。見ると、お腹に深々とナイフが突きささっている。 「きゃあ。マミ、なにしてんの?」 「コイツ! マジで超ムカ!」 マミと呼ばれた女子高生はナイフを引っこ抜くと、続けて二度三度、ナイフをミンミンのお腹に突き刺した。 「ムカつく! ムカつく! こいつチョーむかつく!!!」 醜い女子高生は血だらけのナイフをポケットに入れると、ミンミンに向かって唾を吐き、 「ざまあみろ! あはははははははは!」 と気狂いのように笑って、走り去っていった。可愛い女子高生も青い顔をして後を追う。 ミンミンはぴくりとも動かず、地面に横たわったまま、道路に自分の血が流れて河になるのを見つめていた。辺りに助けてくれそうな人影は見当たらない。 近頃の日本の若者はよくキレるって、あの人も言っていたっけ。 ミンミンは目を閉じて、薄れゆく意識の中でふと考えた。自分はここで死ぬのだろうか。そう言えば、人生には意味のないことはひとつもないと、いつか祖父が教えてくれたっけ。ならば今ここで、自分の命が終わろうとしている理由は何だろう。 ミンミンは人の気配を感じて、目を開けた。そこにはあの青年が、プレゼントの龍の彫物を持って立っていた。 「やあ。待ってたよ。これ、ありがとね」 ミンミンは目を丸くして、立ち上がる。よく見ると、お腹の傷はいつの間にか消えていた。足下には、自分にそっくりな女の子が、血だらけで倒れている。 「あんた………元気たったあるか?」 「まあね。日本語、うまくなったんだね」 「勉強したあるよ。てもまたまた、日本語むつかしいね」 ミンミンはにっこり微笑んだ。 「………実は僕の会社、あれからすぐ倒産しちゃったんだ。それでやけになってね、薬に溺れて心臓マヒで死んじゃった。それから今まで、成仏しないで君を待ってたんだよ。また会えて嬉しい。……じゃ、僕は行くね」 青年の身体が光に包まれた。見上げると、白い龍が、青空を背に舞っている。光はその口に加えられた玉から、発せられていた。 「え。もう行っちゃうの? ミンミンも連れてゆくよろし」 青年の身体がふわりと宙に浮かぶ。ミンミンが手を差し伸べる。青年は一瞬だけその手を握り、そしてすぐに離した。 「駄目だよ。君の傷は確かに重症だけど、致命傷じゃない。それに君はまだ、この世界でやることが残っている」 「そんな。折角会えたのに」 「大丈夫、いつかまた会えるさ。じゃあね」 「約束あるよ。再見!」 青年は龍と一緒に、天空へとそら高く、登っていった。あまりにも眩しくて、ミンミンは思わず目を閉じる。そしてそのまま、意識が遠のいた。 数日後、ミンミンは病院のベッドで目を覚ました。看護婦さんに聞いた話によると、通りがかりの人が見つけて、救急車を呼んでくれたようだ。ミンミンを刺した女子高生は、あの後血のついた制服を警官に見咎められ、職務質問の末連行されたらしい。売っていた携帯ストラップは全部無事だったそうだが、あの大きな龍の彫物だけは、それらしいものは現場付近には見当たらなかったとのことだった。 ミンミンは香港の祖父の元に文を送り、お金を送ってもらった。退院したら、一生懸命働いて返さないといけない。まだ暫く日本での生活は続きそうだった。 病院のベッドでの生活は、とても退屈だった。ミンミンは退院するまでの2ヶ月の間、毎日窓から空を見て過ごした。 たまに大空を飛翔する龍を目にすることがあったが、それが青年を天へと運んで行った、あの龍神様なのかは、よく解らなかった。 終 |