by 片瀬 鷹
序一
なにもない場所で、二人の男がテーブルを挟み、紅茶を前にして奇妙な話をしている。片方の、スーツを着用した男が話の本筋を語り、もう一人のラフな格好をした私服の男がスーツの男の話に耳を傾けている。
それは先日、町の片隅で起こったことだった。
序二
「今日はどんな話だ?」
桜の散る季節、野原の中央に用意された椅子とテーブル。いつもと同じように、風も吹くことなく、静かな場所。白井は自分の正面に座っている黒沢に訪ねた。
「中央病院に行ったときの、そこに入院していた男の話だ。とりあえず、テーブルの上のこれを」
「これは?」
「病院にいた男の情報だよ。右足が機械になった男の」
右足が機械になった――その言葉に魅せられ、白井はテーブルの上に並べられた四枚の写真を見た。最初の写真は男の姿。これといった特徴もない。
「そいつの名前はあかせないけれど、便宜上、赤城と呼ぼうか。写真は一年前に撮ったもので、当時二十七歳で独身。父親と三つ上の兄がいる。家族構成は母親がその写真を撮った二年前に交通事故で他界している。兄はすでに結婚していて子供もいる。父親はその兄貴夫婦と住んでいる」
写真は男の上半身だけが写っている。病院の廊下で撮ったものだろう、男の背後には看護士が写っている。
二枚目の写真には足が写っていた。
「最初の写真と同時期に撮った赤城の右足の写真だ」
黒沢の説明が無くても、すぐに足だと分かる。だが、ふつうの足じゃなかった。クルブシの辺りから下が、銀色に変色していた。まるで鋼鉄のような色だ。
「色の変わっている部分が、鉄になっている」
「これは鉄なのか? 病気で色が変色しているだけじゃないのか?」
「鉄だ」
「これじゃ、足が曲がらないんじゃないのか?」
「曲がるらしい。関節部分も鉄でできているのだが、伸縮する鉄でできているということだ。それに機械化していてモーターが内部で回っているらしい」
三枚目はレントゲン写真だ。赤城の右足のレントゲンだろう。膝からクルブシの辺りまでは骨が写っているのが分かるが、そこから下は真っ白で、内部を見ることができない。
「レントゲンで内部を見ることができないって証拠だ」
「なるほど。この写真は?」
四枚目の写真は画用紙に描かれた絵の写真だ。鉛筆で描かれている。
画用紙の右側には大きな山が描かれていて、左側には大量のネジが描き込まれていた。
「男の描いた絵だ」
白井はもう一度四枚の写真を眺めた。
右足が鉄になった男。新聞で見たことはない。発表できるような内容ではないのか。それとも黒沢の作り話だろうか。
白井は写真を置いた。
「それじゃ、聞こうか。この男のことを」
表情を変えることなく、黒沢は話し始める。
序三
「赤城の右足が鉄製化し始めたのは一年前だ。それはある日突然現れた。映画の『鉄男』という作品があったのは知っているか?」
「全身が鉄とか機械に浸食されていく男の話だよな? モノクロで、不気味な映画だった」
「まさにそれだ。赤城の右足のクルブシ辺りに、突然鉄が発生した。最初はホクロかと思ったらしい。しかし触れてみると、妙に固い。指でさわっている感覚があって、足のホクロらしき箇所もさわられている感覚がある。なのに、まるで自分のクルブシではないような、妙な感覚だった。最初は小さな、それこそマジックペンで着けた点のような大きさだったのだが、一週間もするとその点が十円玉くらいの大きさにまで広がってきた。なにかしらの病気かもしれないと思い、慌てて病院へ行った。あえて大学病院の皮膚科へ行ったのだが、医者もわけが分からないというような返答しかしなかった。レントゲンでも白く写るだけで、原因が全く分からない。赤城自身も黒く変色している箇所をさわってみるが、妙に固い、としか分からなかった」
「見てきたような、言い方だな」
「その辺りは、おまえの想像に任せる。医者はとりあえず塗り薬を出したのだが、その箇所は徐々に大きくなっていった。いったいそれがなんなのか、まるで分からない。三日後に二度目の診察に行くと、担当医は眉根を寄せて、これ以上ないくらいに首をひねってから赤城に言った。『わけが分からない。どうやらあなたの足から鉄が生成されているみたいだ。設備の整った病院を紹介するから、そっちに行ってみてくれないか』と言われて、赤城は不安を抱えながら、その日のうちに紹介された病院に向かった。医者はひとまず足を開いてみると赤城に告げた。赤城は怖かったが、医者の言われるがままに足を開いて貰うことにした。赤城自身、自分の足がどうなっているのかを知りたかった部分があるからだ」
「足を、開いたのか?」
「開いた。患部は余りにも固いので、患部のすぐ横の箇所にメスを入れた。そこから患部を切り取ろうとしたんだ。だけど一回目の術式は失敗した。硬質化した患部と神経、血管なんかが複雑に絡み合っていて、切り離せない状態になっていたんだ」
「複雑に?」
「要は、硬質化した患部にも神経が通っていて、血管が入っていた。患部にもきちんと血液が渡っていた。医者は頭を抱えた。一度手術を終わらせ、赤城に、五日後にもう一度手術する旨を伝えた。今度は患部を切り取るのではなく、削り取ってその成分を調べたいと説明すると、赤城は疲れた顔で頷いた。念のために身体の他の箇所も調べてみたいと言うと、やはり赤城は頷くだけだった。原因不明の病気にかかっているらしいこと、そして直る見込みが非常に薄いことを状況から判断したため、赤城はただうなだれるだけで考えることすらままならない精神状態に陥っていたんだ」
「赤城は、メンタル面が弱かったんだな?」
「不安に対してはもろかったらしい。看護士が言うには、赤城は最初の手術から次の手術までの五日間で、十年も老けて見えたようだ。とは言っても、分からないではないけれど。誰だって原因不明の病気にかかれば不安にもなる。ましてやそれが目に見えて分かる病状だ。生きたまま硬質化していく肉体をもって、正常でいられるとは思えない。逆に言えば、赤城の精神が崩壊しなかったことの方が奇跡的なことだといえるかもしれないな」
「医者は赤城の精神的な面から病気が、足の鋼鉄化が始まったとは考えなかったのか?」
「考えてはいたらしいが、重要視はしていなかった。赤城は本当に普通の、どこにでもいるような青年だったから、どちらかといえば赤城の過去半年間の行動を重要視していた。どこかでこの病状に感染したのではないのか、他にも赤城と同じ症状を持った人物がいないか、赤城の食生活や行動などのすべてを赤城から聞き出すコトの方が、医者にとっては遥に重要だった。もしこの病気が感染病だとしたら、あらゆる場所を封鎖しなければならない。ただその可能性は低く見ていた。レベル的に言えば4で考えてもおかしくはなかったんだが、細菌類が赤城の中から見つかってはいなかったし、ルー・ゲーリック病のような症状と非常に類似していたから」
「4て?」
「世界的に定められた感染症の危険レベルだ。風邪とかが1でエボラ熱が4」
「ルー・ゲーリック病っていうのは?」
「筋萎縮性側索硬化症が本来の名前だけど、筋肉につながる神経が少しずつ死んでいく病気だ。最後には呼吸系の筋肉まで麻痺して死んでしまう。医者はこの病気に近いのではないかと考えたんだ。つまり筋肉につながる神経が死んでいくのではなく、硬質化しているんじゃないのか、と。そこで二回目の手術で患部を採取して、その成分を調べてみることにしたんだ」
「どうやって切り取ったんだ? メスも通らないくらい固くなっていたのに」
「だからヤスリを使ったんだ。人間の身体にヤスリを使うなんて前代未聞の手術だったけれど、これで医者は患部の外側と内側の両方の採取に成功した。その成分を調べてみたら、二十六番目の元素『Fe』、鉄だった。ここではじめて、『鉄のようなもの』から『鉄』に確定されたんだ。硬質化と言ってきた言葉が、ココから鋼鉄化に言い変わった。赤城の足は、本当に鋼鉄化しはじめていたんだ」
「鉄になっているってことは、鉄になるきっかけが必要だってコトだけど、人体が鉄になるなんてあり得るのか?」
「普通に考えてあり得ないことだが、現実に人体鋼鉄化している男がいる以上、否定はできなくなった」
「でも、なんで?」
「それは――やはり分からなかった。ただ、医者は血管が患部に直結していることに目をつけた。赤血球は鉄分から生成されることは知ってるかな?」
「なんとなく。中学の頃に授業でやった気がする。血は鉄の味がするしな」
「うろ覚えの知識で構わない。赤血球が鉄分からできている。鋼鉄化はその赤血球に関係しているんじゃないかと医者は考えたんだ」
「知っていれば、そのつながりは自然と出てくる話のように見えるが」
「そうだな。当然の流れで医者は赤城の赤血球を調べてみることにした。医者の推測通り、赤血球の数が赤城の場合、二十代後半の平均数の三倍近くあったんだ」
「それは手術前の血液検査で分からなかったことなのか?」
「血液検査で調べるのは血液型とアナフィラキーショックがないか――免疫というか抗体に対して安全かどうかに関する事項だけで、白血球とか赤血球の数はその時点では調べない。あとは何かしらの病気を持っていないかどうか、ということだけを調べるだけかな」
「そうか。それで赤血球の数が多いというのはどういう結果につながるんだ?」
「赤血球が多いということは、通常なら傷の治りが早いとか、異常と呼べるほど筋肉が良質だとかになるが、この場合は全身を巡る血管の中に鉄分が大量に存在するということ。その鉄分が赤城の足で何かしらの変質を起こして鋼鉄化しているんじゃないかと医者は推測をたてたんだ」
「なるほど。理にかなっている。でもどういう変質を起こしているかは分からなかったんだな?」
「そうだ。分からなかった。だから当然治療方法も分からない。分からないからどうすることもできなかった。ただ鋼鉄化していった箇所は神経も通っていて、さわった感覚も感じ取ることができるため、異常な症例ではあったけれど重病患者と同レベルで扱われることもなかった。鋼鉄化も、最初は早かったけれど、二回目の術式からは本当にゆっくりとしか鉄化していかなかったから、医者も大ごととしてとらえなかったんだ。二週間もすると、赤城の精神状態も落ち着いてきていたし、ゆっくりと原因を解明していくような流れになった」
「そうだろうな。解明できなければ行き当たりばったりで治療するしか方法がないだろうし」
「だがゆっくりもしていられなくなる状況が発生した」
「異常事態が発生、ってところか」
「そうだ。赤城の足に異常が発生しはじめた」
「どんな?」
「最初に言ったことを覚えてるか?」
「モーター音のことか」
「そう、赤城の足からモーターの回転する音が聞こえはじめた。結論から言えば、足が鋼鉄化だけではなく、機械化し始めた。生物から機械への変質が起こっていたんだ」
「その原因も、分からないんだな?」
「分からなかったんだよ、やっぱり。ただ足が機械化し始める頃から、赤城が奇妙な夢を見ると精神科医に言っていた。毎日同じ夢を見ると。大きな山からネジが転がり落ちてくる、そんな内容だ。その内容を絵にして書かせたのが、その写真だ」
「四枚目の、赤城が書いたという山とネジの、モノクロのこれだな」
「精神科医はその絵を描かせてからいくつか質問をして、その絵の意味するところを推測している」
「この絵の持つ意味をか?」
「そうだ。赤城が見ている夢にどのような意味があるのか、精神科医はフロイトのように本人に質問をし、金田一のように推理した。その内容は少々常軌を逸していたために当初は余り重要視されなかった」
「どんな推測を立てたんだ?」
「多分、誰もがこの内容は異常に思うと思う。精神科医は赤城の夢を『異次元との交流』と推測した」
「異次元との? オカルトじゃないか、それだと」
「晩年のユングが霊界との交流を本気で行おうとしていたというんだから、精神科医はある一線を越えるとそっちの方に走るのかもしれない」
「それじゃ、精神科医は赤城の夢にどのような意味をつけたんだ?
「山を異世界にたとえて、ネジを赤城の足に見立てた。異世界の住人が赤城の足を媒体として、赤城自身と交信しようと試みているらしい。話を聞いてみると、赤城はその半年ほど前からネジの夢を見ていた。異世界の住人は赤城と交信しているのだが、赤城から向こう側へ発信をする事ができないため、赤城になにが起こっているのかを分からず、頻繁に赤城に発信を続けている。そんな内容だ」
「なんでそんな考えになるんだ。精神科医はヤブ医者じゃないのか?」
「物理学紙のネイチャーという世界的権威の雑誌があるんだが、その精神科医はネイチャーに『精神と量子論の関係におけるニューロンの速度に関する仮説と証明方法』という一般人にはまるで分からない論文を発表している。一応この論文は世界で認められているらしい。ヤブじゃないことは確かだ」
「その権威ある医師が推測した話は、さすがに認められなかったんだな?」
「そうだ。そのときは、だけどな」
「そんときは、ってことは、こんな突拍子もない理由が認められたのか?」
「全部じゃないが、あとでこの推測が的をはずしていないんじゃないかとなってくるんだが、その前に話を進めるが、いいか」
「ああ、進めてくれないか。足が鋼鉄化から機械化に進行したんだな?」
「そうだ。医者たちはもはや自分たちの領域外に足を踏み入れざるを得なくなった。機械工学が必要になった。赤城の膝から下は鋼鉄に覆われた高精度な機械になった。その内部でどのような動きが起こっているのかを理解するには、医学・生物の知識だけでは理解できる状態ではなくなっていた。しかも血液は流れている。神経も通っている。機械化した足の動力源がそもそもなんなのか分からない。重さも、足だけで十?を越えた。加えて進行が早まってきている。医者だけではどうすることもできなくなった」
「重量も増えていたのか」
「鉄なのだから、当然だ。そして機械工学専門家を呼ぶことに決定された日、赤城が足に痛みを訴え始めた」
「痛み?」
「クルブシの辺り。最初に鋼鉄化が現れた箇所だ。赤城の痛みは医者たちの理解できる範疇になかった。そもそも赤城自身も、自分の痛みを医者たちに説明できない。どんな痛みなのか、どんな感覚なのか、全く説明できなかった。もちろん、レントゲンでも撮ることができないままだったし、鋼鉄化した患部を切り開くこともできない。赤城の痛み時間と共に激しくなるようで、痛みを感じ始めたのは十五時過ぎくらいからだったが、翌日の十時頃には赤城はかなり悶絶していた」
「痛み止めを打ったりはしなかったのか」
「モルヒネを入れたが、一時的に痛みが消えるだけで、一時間としないうちにすぐに痛みに襲われたんだ。常習性があるため、モルヒネを大量に打つこともできなかった。そのため、コルドトミーを行うことになった」
「コルドトミーとは?」
「神経遮断方法とも言うべきか。脊髄視床路切断術といって、脊髄の中に通っている神経と患部の神経を遮断してしまう方法だ。つまり神経を切断して身体の感覚を意識と切り離してしまうんだ。末期ガンの患者などに行われる術式だが、切断された神経を回復させる手段がないこと、合併症が現れても本人に感覚がないために患部の早期発見が難しくなるから、余り行われる方法じゃない。だが赤城は常識とは別の世界の病気にかかっていた。加えて痛みで暴れるため鋼鉄化した足が物損を行う。医者は苦渋の決断でコルドトミーを行い、赤城から痛みを取り除くことにした」
「その言い方は。まるで手術に失敗したような言い方だな」
「失敗はしなかった。痛みを取り除くことはできたんだ。しかし右足の痛覚を失った赤城は、自分の足に起こりつつあった変化に気づかなくなった」
「まだ、変化していたのか?」
「鋼鉄化から機械化していた足は、さらに次の段階に進んでいた。赤城が感じた痛みは恐らく、その第三段階へ移行する際に発生した痛みだと思われるんだけど、痛みを取り除いたことで、その変化に気づかなくなった」
「赤城の足は、どうなった。鋼鉄化から機械化、その次はどうなったんだ」
「赤城の足は機械化した次に、腐敗化し始めていた。腐り始めていた」
「腐る? 鉄がか?」
「鉄も腐るんだ。錆は鉄が腐ることだろう。赤城の足は内部から腐敗していた」
「内部から? 中を開くことはできなかったんじゃないのか」
「そのために、機械工学の専門家を呼んだんだ。専門家は赤城の足を切り開くための提案を出した。サンダーで切り開けくしかないのでは、と」
「サンダーって、あの鉄を切る工具か」
「相手を人体だと考えていたから、工具で人間の身体を切るなんて考えにも及ばなかった。その提案はすぐに受け入れられて、三日後に手術が行われることになった」
「人間の身体を、サンダーで切るのか」
「人間の身体だが、人間の身体じゃない。すでに普通の状態じゃないんだ、赤城の身体は。赤城もその提案は受け入れた。そして切断したら足を再び接続することができなくなる可能性が非常に高いことも了承した。その可能性は十分にあったからな。術式は全身麻酔で行われた」
「それで足を切り開いてみたら、中が腐敗し始めていたというわけか」
「しかもクルブシから先は、ボロボロになっていた。一番最初に削り取った鉄があっただろう。あそこから腐敗が始まっていたんだ。いやそれよりも、足を切り開いたときに、内部が様々な機械によって埋め尽くされていたこともそのときの驚くべき事実だったんだ」
「モーターとか色々入っていたんだな」
「そうじゃなかったんだ」
「そうじゃない? モーターやらで赤城の足が駆動していたんじゃないのか?」
「いや、確かにモーターらしきモノはあったらしい。あとで足を詳しく調べることになるんだが、それよりも手術中に目に見えて異様なモノがあったんだ。足の中に詰まっていたモノは、液体金属だった。しかもかなり粘着性のある液体金属で、あとで分かることだが、水銀だったらしい」
「水銀? 水銀の元素記号って確かHgだろう、血液やら空気やらを化学式で表しても、水銀がそこから化学反応で発生する可能性は無いんじゃないのか?」
「そうだ。だが正確にそれが水銀だったのかどうかは分からない。その水銀が錆びて風化してしまったから、推測でしか分かっていない」
「水銀が錆びるなんて聞いたことがない」
「だからそれが本当に水銀だったのかどうかが分からないままなんだ」
「しかし、それじゃいったい赤城の足はなんだったんだ?」
「そこで精神科医の推論が注目を浴びることになった。彼の推論では異次元世界との交信が赤城の足を使って行われているとのことだったが、赤城の足の鉄がこの世界における常識の通用しない状態にあることから、本気で医者や専門家たちは異世界物質を考え始めた」
「そうだな、そう考えたくなる。だがあり得ないだろう、異世界なんて」
「そうだ。あり得ない。分かっていることは、赤城の右足がこの世界では考えられない異常な状態に陥っていること、その物質は元素記号上では通常或るモノなのにこの世界の物質通りの化学変化を起こしていないこと、そして赤城の足が腐り始めていること。この三点が目の前にある問題だった」
「一番の問題は、赤城の足が腐り始めていることだろう?」
「まず、サンダーで切り落とした足はやはり元に戻すことはできなかった。クルブシから下を切り落としたのだが、どうしてもくっつけることができなかった。そして切り落とした周辺は腐り始めていて、水銀も少しずつ赤城の足から流れ出していた。そこで医者と専門家は決断して、赤城の右足を全部切り落とすことにした」
「なに?」
「赤城の足を患部と判断して、まだ鉄に犯されていない部分からだけを残して足を切断することにした」
「切り落としたのか」
「そのままでは足から腰に、そして胴体、手、頭と鉄に浸食されかねない。しかも腐敗化が進んでいる。それに切り落としてしまえば足を単独で研究できる。だから足を切り落とした」
「本人の了解も得ることなく、切り落としたわけか」
「手術前に本人には、足を切断する可能性があることは話してあった。だから麻酔から目覚めたときに赤城がそれほど落胆することもなかった」
「それで足を切り落として、研究所に回した、ってところか」
「だがその研究も一ヶ月も持たなかった」
「なんで?」
「さっきも言ったが、腐敗した水銀は風化するんだ。足はすでに腐敗を始めていた。しかも腐敗の速度はかなり速く、三週間で切り落とした膝から下は全部錆び付き、その一週間後にはきれいに風化したんだ」
「研究対象になるべきモノは存在すらしなくなったわけか」
「いや、研究対象はまだ残っていたんだ」
「風化せずに残っていたモノがあるのか?」
「赤城自身だ」
「あ」
「足が失われた赤城の鋼鉄化現象は終わったように見えたんだけれども、実際はすでに全身に鋼鉄化現象が始まっていたんだ」
「足以外の部分も鉄になり始めていたのか」
「左手の先端、つまり指だな。それと右耳が鉄になり始めていた」
「全身が、鉄になるのか」
「誰もがそう思った。医者ももう赤城を治すことができないと匙を投げかけた」
「治す方法が見つかったのか?」
「いや、結局治す方法など見つからなかった。最初の右足に鉄が現れてから三ヶ月経って、赤城は、自殺した」
「……そうか。分からないでもない。でも、どんな死に方をしたんだ? 普通の死に方じゃ難しいだろう、身体が鋼鉄化しているんじゃ」
「そうでもなかった。赤城はさらに第四段階の進化に入っていた」
「まだ進化するのか」
「分かっている限り、赤城は六段階の変化をしている。四段階目の変化は、重量だった」
「重量?」
「赤城の体重は鋼鉄化し始めた頃から毎日計ることになっていた。一番重かったときが右足を切断する直前で二百?近くまであったのだが、最後に計ったときは六十?と平均的な体重になっていた。鉄が、軽くなり始めていたんだ」
「鉄じゃなくなっていたのか?」
「そうらしい。鉄がさらに違う物質に変化し始めていたのだが、赤城が行方不明になったために調べることはできなくなっていた」
「行方不明? 自殺じゃなかったのか?」
「自殺したのだが、死ななかったんだ。自殺は未遂に終わった。その翌日、赤城は失踪した」
「失踪? いやその前に、自殺はどんな方法を試みたんだ?」
「自殺する前日には、ついに赤城の身体は頭部を残して機械化した。自殺した日には、映画のターミネーターのように、全身が機械化していた。そしてこの日、五度目の進化が始まっていた。赤城はもはや『アカギ』という機械になっていたんだ。ただ、もちろんきちんと赤城だった頃の記憶はしっかりと残っている。意識も人間のモノだった。だからアカギは、人間でなくなったことを悲観して、病院の屋上から飛び降り自殺をした」
「五番目の進化って、なんだ?」
「修復だ。アカギの病室は常にビデオカメラで写されていたのだが、そのときの様子が映像に残っていた。アカギは眠っている最中に、自分の右足を自分の身体で修復したんだ」
「眠りながら?」
「アカギが眠っているときに、切断されたはずの右足の辺りから様々な機械が現れた。動物の触覚のように伸び始めたかと思うと、アカギの脇に置かれていた病院の様々な器具に向かい、その機械を壊し始めたんだ。そして同時に、その機械を少しずつ右足に取り入れ始め、二時間ほどで失われた右足を修復したんだ」
「本物の、機械人間だな」
「そうだ、だから病院の屋上から飛び降りてバラバラになったというのに、破片が自分から動き出し、一時間ほどで再生・修復が完了した」
「普通じゃない」
「そうだ。アカギは死ぬこともできなくなった。そして実験体になることをおそれ、その日の夜、病院から抜け出した」
本編
「アカギはまだ進化の途中にあったんだ。その次に第六段階の進化があった」
「どんな進化だ?」
「自分の身体に生体樹脂を発生させ始めた。つまり、外見が機械的なものから人間的なモノに変化し始めたんだ」
「社会生活に適応するための進化だな」
「それが最後の進化だった。ただしまだ進化するかもしれないけれどもな」
言い終えて、黒沢は紅茶を口に運んだ。
一つの疑問に白井は襲われた。
「なあ、変じゃないか」
「なにがだ?」
「なにが、って。第五段階の途中でアカギは失踪したんだろう? なのにどうして第六段階の進化をおまえが知っているんだ?」
黒沢の、ティーカップを置こうとした手が止まった。
「――作り、話か」
言って、白井は苦笑いした。
終章
白井の一言を聞いて、黒沢はティーカップを置いた。
「そうか。本人しか知り得ない事実だったな、六番目の進化は」
今度は白井の顔が凍り付いた。
「それじゃ、まるで、おまえ――」
黒沢は白井を見た。
「答えは、おまえの想像に任せる」
そして二人は沈黙した。
暗転