THE CUBE

by 週刊文学文芸編集長


1.突然の閉鎖通告
 平凡という言葉が嫌いな奴ほど、嫌んなるぐらい平凡だ。そして私は平凡という言葉が大嫌いだ。平凡な人を馬鹿にするわけじゃない。平凡な事が馬鹿にされる事が許せないのに、平凡な事を馬鹿にする気持ちがわかるこの自分が嫌なのだ。
 アイデアというものが何処から来るのか?平凡な人は、そんな事を考えてみたこともないだろう。実際、私も「考えてみろ」と喉笛に刃物を突きつけられるまで、考えてみたこともなかった。そういう事は、天才の役目なんだ。そして私は別に天才が得られるべき、特別な財や地位を欲しがっているのじゃない。今月の給料を欲しがっているだけだ。それだって同じ年齢の平均的な月給より、ぐんと低い僅かな金なんだ。一体誰が30年分の家のローンを保証したのだ。私はした覚えがない。銀行か、会社か、誰だかわからないが、とにかく私ではない。でも家は建っているのだ。一日のうちに数時間寝るためだけにある家が、郊外の分譲の進まない住宅地(こんなものはただの雑草の温床だ)にポツンと建っているのだ。
 妻や子供は私が天才だとでも思っているのだろうか?思っているわけがない。ただ、とりあえず失業はしないだろうし、博打もしないだろうし、失踪もしないだろうと思っているだけだ。誰だって私を平凡な男だと思っている。まず私自身が思っている。それでいいじゃないか。何が文句があるというんだ。
「忠男ちゃん、冗談だろ?」
 本宮忠男に呼ばれた私は、彼の座る自分の椅子の前に突っ立ったまま、阿呆のような顔で聞き返した。
「戦略局長だ。忠男ちゃんはやめてくれ。同期入社が何だって言うんだ。今は自分の立場を考えるんだ。開発室長」
「本気なのか、た、、、局長」
 本宮忠男は黙って頷いた。昔は一緒に騒いだ仲間なのに、今では随分と立場が変わってしまった。彼は本社の戦略局長。私は今や廃室寸前の、商品開発室長だ。元々K大を卒業した出世コースの彼と、三流大学から運で入社できた私とでは、世界が違ったのだ。40に近づくと人生は残酷な分岐をあからさまにしてくる。

 そもそもの始まりは、この朝の出来事だった。
 いつものように出社してみると駐車場に本宮のベンツがあった。こんな早くから彼が来ているのは良いことじゃない。それどころか最悪の出来事だ。工房に入るなり、田島のじい様が私に食らいついてきた。
「どういうことなんですか室長」
 私が聞きたい。何が起きたのだ。本宮は何をしでかしたんだ。
「何があったんだ?」
「何がも糞もねえです。本宮局長がいきなり工房に入ってきて、こう言うんですよ。『希望退社を申し出るものは優遇する』ってね。おかげでみんな浮き足立っちゃって仕事になりませんや。どうなってるんです?」
「わかった。何も心配しないで仕事を続けてくれ。お決まりのトラブルだろ。いつもの事さ、小さい子が部品の何かを飲み込んだんだよ」
田島じいは納得しない面持ちだったが、なにやらブツブツと言いながらドラフターへ戻った。忠男ちゃんはこのじいさんとドラフターが大嫌いで、いつも製図板をバンバンと叩きながら、「ココには文明の利器というものはないのかね!コンピュータって名前ぐらい聞いたことあるだろ」と怒鳴り散らす。今朝も恐らくは希望退社の話の前にひとっ節やった筈だ。やれやれ。
 本宮局長はさっさと室長室に引きこもっていた。私がドアを叩くのを虎視眈々と待っているはずなのだ。自分の部屋のドアをノックして入る時ほど屈辱的な事はない。同期ということでタメ口を聞いているのが従業員に対するせめてもの見栄なのだが、どうやら今朝はそれも許してはくれないようだ。
 トントン。
「松崎、入ります」
「オタカラ1の金食い城主がようやく重役出勤かね」
「忠男ちゃん、従業員を動揺させちゃまずいじゃないか」
「松崎室長、事態はシビアーだ。昨日の本社会議で、私は商品開発室の廃止を正式に稟議してきた」
「忠男ちゃん、冗談だろ?」
「戦略局長だ。忠男ちゃんはやめてくれ。同期入社が何だって言うんだ。今は自分の立場を考えるんだ。開発室長」
「本気なのか、た、、、局長」
「残念だが、バッコちゃんやスラロープ、ミカちゃん人形が飛ぶように売れていたころのオタカラオリジナルは、もう存在しないんだよ」
「待ってください。昨年発売したチャーミー人形は、ファージーよりも音声認識に優れ、ただランダムに返答するファージーとは違って、、、」
「もういい。ランダムでもガンダムでも何でも良いんだ、そんなこたあ。売れてねーんだよ。わかるか?う・れ・て・ねーの!わかる?誰も買ってかねえーんだよっ!」
 私は言葉に詰まった。本宮の言う事は本当だ。私も毎朝、山と積まれた在庫のトンネルをくぐってオフィスに入るのだ。
「松崎、時代はもう、触って弄くるオモチャの時代じゃない。考えてみろ、CD-ROMやDVDのコストがどれだのものだ?ノベルティ屋が作ったチャチなマスコットでも、限定でプレミアがついたりするんだぜ。ゲーム屋に勝てるか?どうやって勝つんだよ。アニメからも見放されて、ウチの、オタカラオリジナルのオリジナルなんて、何の価値があるってんだよ」
「し、しかし子供の情操教育には触れるオモチャは不可欠では?」
「何言ってんだよ!俺達は日本の未来を考えるボランティア企業なのか?!ええっ?!もやしっ子でも引きこもりでも犯罪者でも、どんな餓鬼が育とーが知ったこっちゃねえんだよ!売れるモノを作らなくっちゃ洒落にならねーんだよ!!売れなきゃテメーの子供が飢え死にするんだよ!」
 本宮、、、。
 おまえの口からそんな言葉を聞くなんて信じられない。入社当時、子供に夢を与える仕事に就けた我々は、何て幸福なんだと、そう語り合ったじゃないか。
「松崎、一体全体ここ何年間、オタカラオリジナルはヒット商品を出してない?もう本社も限界なんだよ。もう、ドクターQみたいなじいさまや、プラモおたくどもにタダ飯を食わせている余裕はないんだ」
「わかっているよ」
「いや、君にはわかってない」
「わかりたいと思うよ、いや是非わかるようになるとも」
「おれはわかりたくなんかないんだ」
「別に無理してわかろうとしないほうが良い」
「そうだな。ああそうとも。おれにはわからない。だが、君には身をもってわかってもらう事になる。どういう意味かわかるな?」
 つまり、開発室がなくなっても、私には何処にも行くところがないって事か。そんな事、意地でもわかるものか。
「わ、わからないよ忠男ちゃん!」
「ほら、やっぱり君にはわかってない」
「わかるから!わかるようになるから、もう一度だけチャンスをくれよ!」
「わかってもらえるんだな?廃止を」
 ど、どうしてそういう事になっちゃうんだ。ズルイよ忠男ちゃん!
「開発室の閉鎖なんて、絶対やだよ忠男ちゃん、自分、まだ30年家のローンが残って、、、」
「そんなことは会社の知ったことじゃない。それから、、、忠男ちゃんはやめろ」
 沈黙。
 私はさっきからイスも勧められていない。そっと部屋の隅の丸椅子を引き寄せて腰を下ろそうとした。
「だーれが座っていいと言った!」
 ちぇっ。ここは私の部屋なのに。
「いいか、松崎。泰彦ちゃんよお。チャンスと言える程のものじゃないが、猶予をやる。原価50円だ。材料と生産コストの合計50円。びた一文負からん。これで、今までにないヒット商品を開発するんだ。開発期限は2週間。初期ロットが全部掃けなきゃ、この商品開発室は閉鎖だ。わかったか」
「ちょっ、、、待ってくれよ、50円なんて、積み木でも創れってのかい?」
「積み木?それは良いアイデアだ」本宮は室長席を立ち上がりながら言った。「販売価格20,000円の積み木が売れるんならな」
 売価20,000円?!
 だめだ。私は部屋のドアを乱暴に閉めて行く本宮を、呆然として見送った。何が「チャンスと言える程のものじゃない」だ。それどころか、死の告知だ。
 お終いだ。原価の400倍の付加価値商品なんて、人類が石で買い物をしていた時代から今日まで、一度でも存在したのか?それは骨董やプレミア、レアものではあるだろう。しかし玩具メーカーが売り出す商品では、不可能だ。もう彼は完全に商品開発部を潰すつもりなのだ。経費の削減を余儀なくされた本宮は、真っ先に私達のリストラを敢行しようとしているんだ。私は確実に職を失う。明日から路頭に迷い、老いた母親と二人の子供と女房を連れ、教会の前でシチューの順番を待つのだ。
 私はその場にくずおれた。


2.恩師との再会
 天才は生まれたときから自分が天才であることを知っており、凡人もまた生まれながらにして自分が凡人であることを心得ている。たまに天才が「自分は凡人なのじゃないだろうか?」と思うこともあれば、凡人が「自分は天才なのじゃないだろうか?」と思うこともあるが、それらはスベカラク単なる勘違いだ。
 商品開発部の閉鎖通告から丸2日が過ぎた。私は殆ど満足に飯が喉を通らない。約束の1週間まであと12日しかない。死刑台の踏み台を一歩一歩登ってゆく死刑囚のような気分だ。これといったアイデアなど何一つ思いついていない。それに、ついていないことは重なるものだ。
 ゆうべ女房が出ていった。子供たちを連れて実家に帰ってしまったのだ。仕事仕事で家庭をまるで省みず、母と女房の喧嘩がもう限界に達しているのを感知出来なかったのだ。
 心配して携帯から家に電話をしてみた。母は誘拐事件だと騒いで警察署に行くと言って聞かない。
「母さん、親が子供を連れていっても警察は動かないよ」
「あの女がワタシの大事な孫達を連れてったのよ」
 いい加減にしてくれ。一体誰のために働いていると思っているんだ。私は今、凶暴なリスと獰猛なトラとに追われているんだ。構っていられないんだよ。
「向こうの家に電話をしてみるから、じゃあ、切るよ」
 私は本社の戦略会議に出席しなければならなかった。本社ビル地下の駐車場に車を滑らせると、そこにはもう本宮のベンツがあった。反射的に時計を見る。5分遅刻している。だからどうしたというのだ。どの道2週間後には肩をたたかれるのだ。
 会議室に入ると、真っ暗な中、本宮がプロジェクターで状況分析を発表している最中だった。遅れてきた私を瞬間睨みつけ、また講釈を再会する。
「つまり、ターゲットのニーズがマーケティングリサーチ上十分なコンシューマーを、、」
 普段聞きなれた単語が今日は外国語のように聞こえる。スクリーンに映し出された棒グラフも、何の意味も持たない七色の墓石のようだ。ふとポケットに手を突っ込んだ。いつ入ったものだか判然としないキャンディーの包みが指先に当たった。
 私はこれがいつどのようにポケットに入ったかを考えながら、中身を口の中に放り込んだ。薄暗い室内でわからなかったが、黒飴だった。脳に味覚情報が送られた瞬間、私は全てを思い出した。そうだ、このキャンディーは小石川大輔教授に2ヶ月前戴いた「アイデアの湧く飴」だ。

 小石川先生は私の大学時代の恩師である。彼は世界でも珍しい「菓子学」のオーソリティーで、私が専攻した「玩具学」とも深い関わりを持っていた。彼と偶然再会したのはほんの2ヶ月前の話だった。たまたま私は福岡の販売会社へチャーミー人形のマニュアル説明に行く途中で、小石川先生は何やら地方の大学のセミナー講師として呼ばれていたらしい。国内線空港のロビーでばったりと出会ったのである。
「小石川先生ではありませんか?」
「失礼、どなただったかな?」
「松崎です。貴方の『玩考論』を取っていた、松崎泰彦ですよ」
「ああ、覚えているとも、おお、これは久しぶりだな。君、今はどうしているんだね?」
「オタカラオリジナルで玩具の開発をしています」
「そうか、大変そうだが面白そうな仕事だな。最近オモチャはどうなっているんだね」
 教授が社交辞令で興味を持ってくれたのは承知の上だが、私はどうしても自分の開発室での成果を披露したい衝動を押さえられなかった。旅行バッグからチャーミー人形を引っ張り出し、小石川先生の反応を待った。
「ほほう。対話型ロボットだね」
「ええ、そうです。数百の日常語を理解し、新しい単語も記憶します。成長すると単語同士を組み合わせて、意味のある言葉を作ったりもするんです」
「ほう。物真似鳥だな?確かによく出来ている。それでこのロボットは売れているのかね?」
 教授の発言は正直なところ私には心外だった。売れているのかどうかは玩具の出来とはあまり関係が無くなっているのが現状なのだ。実際、機能ではこれよりも数段劣るファージーが、ただ知名度と宣伝効果で飛ぶように売れているのだ。
「そうですね。まあまあの滑り出しというところでしょうか。実際、オモチャはよく出来ているからといって売れるとは限りませんからね」
「いや、私が言いたいのは、このロボットを子供たちが本当に欲しがっているのかどうかだよ、松崎君」
「何がおっしゃりたいのか、ちょっとわかりかねますが」
「いいかね。玩具の目的とは何かね?」
「玩具の目的ですか?それは、その、情操教育、知能の発達を助ける、子供たちに夢を与える、、、」
「そうじゃない松崎君。玩具の目的は、『幸福にすること』なのだ」
 え?
「まあ、そういう事もあるでしょうが」
「そういう事もある、ではなく、それしかないのだよ。極めて単純な事だが、みんな忘れてしまっている。玩具は、『幸福になる』ために存在するのだ。、、、おおすまない。私の乗る飛行機がもう出てしまうようだ。悪いがこの続きはまた今度にしてくれないか?」
 人生に於て明らかに重要なレクチャーを受けようとしている時、人にはそれがわかるものなのかも知れない。この時私は正にそういう心境にあった。
「ではゲートまでお送りします。歩きながらお話しできないでしょうか?私の便はまだ先の時間なので」
「ああ、そりゃ構わんよ」
 旅行鞄を引きずりながら二人とも歩きはじめた。
「先生、子供を幸福にするオモチャとは、具体的にどういうものですか?」
「そういうアプローチではゴールに辿り着けない。いいかね松崎君。考えるんだ。人は何故幸福になる?どんな時に人は幸福を感じる?」
「人を愛するとき、あるいは愛されるとき、、、かな?」
「そうだ。よくできた。ご褒美に『アイデアの湧く飴』をあげよう。私が発明した新製品だ。単なる黒飴と馬鹿にする輩もいるが、黒糖は脳の働きを活発にするのだ」
「あ、こりゃどうも。恐縮です」
 私は教授が差し出したキャンディーの包みを受け取ってポケットにしまった。
「ですが先生、人の愛情と幸福になる玩具とどんな関係が?」
 教授はすでに旅行鞄をゲートに通し、搭乗口から飛行機へ乗り込むところだった。
「すまんが、ここまでだな。また縁があったら何処かで遇おう」
 遠ざかる小石川先生に向かって、私は叫んだ。
「愛情が玩具を作るときに大切だということですかあー?!」
 しかし彼は大きく一度だけ手を振ると、何も言わずに飛行機へと乗り込んでいった。

 私はキャンディーを口の中でバリバリと割りながら、小石川先生と再会した時の事を思い出していた。アイデアは湧いてきそうになかったが、少なくとも先生の事を思い出したのは大きな収穫だ。彼なら今の私の危機を救ってくれるかも知れない。
 そう思いついたらいてもたってもいられなくなった。先生は今何処に居るのだろう。忙しい人だから、何処かまた遠い場所に行っているかも知れない。それに卒業してからもう15年以上も経つのだ。当時の連絡先は家の押し入れの何処かにあるだろうが、今はもう変わっているかも知れない。旧友を辿れば、何とか小石川先生に辿り着けるだろうか?
 私は会議室を後にして、自宅へ急いだ。会議中に抜け出した事で、あとで本宮に何を言われるかわからない。それでも今は背に腹は代えられないのだ。
 自宅に到着すると、驚いたことに息子の浩太がリュックサックを背負って家の前に立っている。
「どうした?ママは一緒か?」
 浩太は首を横に振った。
「明日の土曜日は学童クラブのサマーキャンプだよ。パパが一緒に行ってくれる約束だろ?」
 ああ、すっかり忘れていた。それで涼子の奴は浩太だけ帰したのか。
「ああ。勿論行くよ。さあ、家に入ろう」


3.チャーミーを探せ
 翌朝早く、私と息子がキャンプの待ち合わせ場所であるF駅に到着すると、リュックを背負った数人の少年たちが、行儀良く整列して待っていた。
 何故か大人の姿が見えない。ひょっとすると保護者は私一人なのだろうか?
「おはようございます」
 元気の良い声で、列の中のひとりが話しかけてきた。
「やあ、おはよう。みんなの親御さんは来てないの?」
「はい。今日は松崎君のお父さんがリーダーとして僕たちをキャンプ場まで引率してくれるって聞いてます」
 オイオイ、私は聞いてないぞ。
「学童クラブ部長の6年2組石立です。よろしくお願いします」
 少年が野球帽をとって頭を下げると、それに続いて列の皆が同じようにそれぞれの帽子を取り「よろしくお願いします!」と挨拶をした。
「おじさんの頃はみんなジャイアンツだったが」
「これ、野球じゃなくてスケボーのチームです」
「あ、そうなの」今の子供たちは多様化しているんだなあ。誰もが松井のホームランを期待しながら夕飯を食べているわけじゃない。げんにウチの浩太はプレステをやるためにナイターを見せてくれない。
「これ、今日の予定表です」石立君は私にB4版のプリントを手渡した。
「よし!」と私は少年たちの顔を順繰りに見た。「それでは今日はおじさんが引率します。出発の準備はいいか?誰かまだ来ていない子供はいるか?」
「いいえ。全員揃ってます」石立君が答えた。実にしっかりとした子供である。親御さんの教育がよろしいのだろう。
「よし!では出発!」

 駅南から続いている遊歩道に沿って山道に入り、丘一つ越えると川沿いに出る。川を少し登るとキャンプ場だ。大人の足で歩けば4時間とかからない。小学生でも、途中休憩を入れれば、5時間で着く筈だ。現地では炊飯してレトルトのカレーを食べ、食後釣りやアトラクションをし、夜は焚火をする。子供たちを寝かした後、保安所に連絡を入れ、火を消して就寝。日曜日、朝一番で起きてまた炊飯し、レトルトのカレーを食べ、下山する。駅到着は昼の12時の予定だ。
 私は歩きながら昨夜の電話の事を思い出していた。古いノートやアドレスブックを引っかき回して、ようやく大学時代の友人のひとりを、電話口に引っ張り出す事に成功した。それからが大変だった。小石川先生の足跡を追って、たらい回しに電話をかけまくり、夜中の1時近くになってやっと先生の居場所がわかった。小石川教授はハイチにいた。
「もしもし。夜分遅くに申し訳ありません。空港でお会いした松崎です」
「夜分遅く?ああ、そっちの時間のことか。やあ、元気かね松崎君。電話してくる頃だとは思っていたよ」
「先生、なんでまたハイチにいらっしゃるんですか?」
「実は呪い人形の研究でね。『呪ってブードゥーちゃん』のモジュールにどうしても必要なんだ」
「たいへんですね。でもコッチも大変なんです。実は私は今とんでもない危機にありまして」
「開発室が閉鎖になるのかね?」
「どうしてご存知なんですか!?」
「あてずっぽうでないことは確かだが、どうしてわかったかを説明するのは難しいな。まあ、この間見せてもらった何とかいうロボット人形から推理した、とだけ言っておこうか」
「チャーミー人形です。あの人形が何かいけませんでしたか?実は先生にどうしてもお聞きしたくて。原価50円で売価2万円のオモチャをつくらねばならんのです。それもバカスカ売れるような、、、」
「わっはっは。それはもう会社に死ねと言われているようなものだな。良いかね?良いオモチャに値段など関係ない。誰もが欲しいと思えば売れるが、売れる事すら関係がない」
「わかりやすく言ってもらえますか?あまり時間がないんです。あと10日ぐらいで設計から製造にまわさないと、私の部署は潰れます」
「潰れるべきものは、潰れるべく一度潰れたほうが良いよ」
「先生!」
「はっはっは、冗談だ。それでは儲かった時には私にも少しアイデア料をくれるかな?」
「そりゃあ勿論です」
「君はその馬鹿げた新製品が売れた時に、会社から何を約束されているんだね?」
「今のところ、開発室の存続と、私の職の保証だけです」
「では私のアイデア料も知れたものだな。君はそれでいいのかね?会社は何の苦もなく大儲けするのだぞ」
「そんなことはどうでもいいんです。私には家族を養う義務があるんです。解雇になるわけにはいかない。こうしてはどうでしょう。もしも先生のアイデアが物凄いものなら、売値の2万円が2万1000円になってもそう変わらないんじゃないですか?どうせ消費税は外税として付いちゃうわけですし、それなら商品1個につき1000円のロイヤリティーバックができます」
「原価50円で2万1千円のものが作れると思っているのかね?」
「それは2万円でも同じ事でしょう?やっぱり所詮は無理な話なんです。開発室を潰す為の口実でしかないんです」
「やはり君は無理だと思うのかね?」
「先生にだって無理なんでしょう?」
「いいや、無理じゃない」
 私はこの言葉を待っていたのかも知れない。
「では、お願いします!」
「よろしい。では先ず、あのロボット、チャーミーについて、何がいけないかを考えてみてくれ。(ぎょええええええええ!)」
「い、今の何ですか!?何か先生の背後から悲鳴みたいのが聞こえたんですが」
「ああ、儀式の一種だよ、気にせんでいい。どこまで話したかな。そうそう、そもそも何故君はあのチャーミーというロボットが売れると思ったのかね?」
「自分の開発製品を言うのも恥ずかしいのですが、先ず、他社の類似品と比べて価格から来る性能のパフォーマンスが大きい上に、、、」
「おいおい、ちょっと待ちたまえ。子供たちは工業ロボットを購入する工場主ではないのだよ。性能差が劣っていても、例えば可愛くないものより、可愛いものを選ぶのじゃないかね?」
「可愛らしさについては、専門のデザイナーを雇っています。外観のモデルをいくつか用意し、子供を使ったシミュレーションリサーチも行いました」
「正直な感想として、君自身はチャーミーを可愛いと思うのかね?」
「さあ、わかりません。私は子供ではありませんから」
「子供の気持ちになって想像してみたこともないのだろうな。それは君の仕事ではないと、君が思っているからだ。でもこれは極めて重要な、君の、仕事なのだよ。さあ、遅ればせながら、可愛いかどうか考えてみたまえ」
 私は家にあるチャーミー人形を持ってきて眺めた。もともと娘の為に在庫を一体持って帰ったのだが、関心を持ったのは最初の一日で、今では全く見向きもしない。電池も抜かれ、彼お得意のインタラクティブなお喋りも出来ない。哀れな顔に見える。可愛いというより滑稽で馬鹿みたいな顔だ。
「そうですね。可愛くないかも知れません」
「かも知れないではない。可愛くないんだ。可愛いと思うのは瞬間的な心の発露にほかならない。そうでなかった場合はいくら眺めても結果は同じなんだ。それは可愛くないという事なのだよ」
「でも、それは人それぞれ好みが違うのではないですか?」
「その通り、だから万民に愛されるキャラクターというものはない。ミッキーマウスでさえ、可愛くないという人もいるんだ。可愛くしようなんて考えると余計に気持ち悪いものができる(ウギャアアアアアー!)」
「あ、また聞こえた。そちらも大変そうですね。でもさっき先生は可愛いか可愛くないかが問題だとおっしゃいました」
「いや、私はそんな事を言おうとしたんじゃない。性能差よりも重要な要素が、そういう曖昧なところに託されているという事を言いたかったのだ。わかるかね?どれだけオモチャ屋がオモチャとしての性能を上げても、結局は人間の曖昧な趣味趣向が優先されるという事だ。性能を重視するのはそれを使って仕事をする者だけだ。それを使って遊ぶ者は、もっと曖昧な要素によって選別する」
「ああ、なるほど。AIの研究は確かに経費がかかりすぎています。しかし、いまさら旧態然としたミニカーやミルク飲み人形は、もうまるで売れる可能性がないんです」
「何が売れるかではない。何が売れないかを考えるんだ松崎君。そういう意味に於てチャーミーは最悪のオモチャと言って過言ではない。チャーミーのまずい所を理解する事は、逆に良いオモチャとはどういうものであるかを理解する事に繋がる。チャーミーを探しだすんだ。ありとあらゆる所にチャーミーはある。人間は本当に大切な事を常に見失なって暴走する生き物なのだ。その結果、人類はそこかしこにチャーミーを生み出している。例えば、子供もそうだ。現代日本の教育は正にチャーミーを大量に生産しているんだよ。君のお子さんは大丈夫かね?」

 この後、更に大きな悲鳴が先生の背後から聞こえたかと思うと、いきなりプツリと切れ、二度と通話できなかった。
 
 小石川教授の話を思い出しながら、私は子供たちの隊列を後ろから眺めていた。先頭を歩いているのは石立君だ。何人か隔てて浩太の姿も見える。私はしんがりで子供たちの様子をうかがっている。少しでも列に乱れがあれば、休憩して様子を見、時間を調整する。
 私は登山部出身でもボーイスカウトの経験があるでもないが、こういう場合の統率力に少しは自信があった。それに息子の前でオトナのカッコイイところを見せなくてはならないという面子もある。さあ、最初はどの子がへばるのかなあ?
 時計を見ると歩き初めてから1時間になる。もうそろそろ休憩を入れる時間だ。しかし列に全く乱れがない。体力のある子、ない子、太った子、痩せた子、そういう差別も見当たらなかった。この行列を後ろから眺めていると、まるで蟻のようで、危うくすれば自分の子供がどの子だかも忘れてしまいそうだ。
「はーい。ここで休憩にしまーす」
 私が言ったのではない。先頭の石立君が立ち止まって振り向き、両手を大きく広げ、自信満面に言い放ったのである。
 それは私の役目ではないのか?何故、保護されるべき児童の君がそれを言うのか?別に休むのは構わないが、、、。
「おい、石立君。休憩の合図はおじさんが出すよ」私は先頭まで走っていって言った。
「あ、越権行為でしたか?」
 なぬう?越権行為なんていう言葉を、最近の小学生は知っているのか。意味がわかって言っているのかな。まあ今回の用法は間違っていない。ただ、小学生に言われると、ハッとする。「あなたから権威を揮うチャンスを横取りしましたか?」と聞かれたようなものなのだ。それを小学生が認識しているのだろうか?よくわからない子供だ。
「いや、誰が合図を出す、とかじゃなくて、おじさんは一番後ろからみんなの列の動きを見ているから、誰かが疲れたらわかるだろ?」
「それなら大丈夫です。列は乱れたりしません。そういうシミュレーションは終了した上で編列をしてあります。それより、出発から1時間経過しました。本当は30分後に5分間休憩する予定でしたが、おじさんから休憩の合図が無かったもので、、、」
 そういえば、出発の時に石立君からプリントを受け取ったのを思い出した。子供の書いたものだから、適当に斜め読みでポケットに突っ込んだ。それを出して、さらに良く見てみると、確かに、最初の休憩は30分後とある。私の見落としだ。
「あ本当だ、すまなかった。でもこうやってキッッチリ時間を決めておいても、臨機応変に、あ、臨機応変てわかる?」
「ええ、わかります。言葉の意味もおじさんがおっしゃろうとしている事の意味も。でも、さっきも言いましたけど、そういうシミュレーションは終わっているんです」
 そんな計算通りに行くと思っているところがまだ、子供だな。世の中というのはどんなに万全に備えても、必ず予測できない事態というものが起きるものなんだ。本当の管理力というのは、そういう時に発揮される。まあ、それを教える良い機会かも知れない。何かアクシデントがあった時には、この私が「オトナの対応力」というのを見せてやろう。

 そして2時間後、一行は何事もなくキャンプ場に到着した。途中、列が乱れる事もまるでなかった。さぞ、勝ち誇ったような顔をしているだろうな、と石立君の顔を見ると、別にそうでもない。まるで何でもないようにしている。
 わからない。オトナの鼻を明かしたのだ。20年前の子供だったら、鼻の下に指を挟んでスライドさせ、セリフは「エッヘン」だ。わからない。彼ががわからない。
 火を起こし、飯盒で飯を炊く。これは流石に私の出番だろう。現代のもやしっ子どもには、、、、、、、出来てる。
 さあ、飯の取り合いだ。誰のが少し多いぞ、俺のが少ないぞ、もっとよこせ、ってな大騒動、、、、、、、もない。
 やはり、先程の石立君が、せっせとみんなの世話を焼き、手際よく処理しているのだ。私の出番などまるでない。大したもんだ石立君は。末は大臣か?
 息子がもくもくと食事をしているところを、横に座って、聞いてみた。
「なあ、浩太、楽しいか?」
「うん、まあまあ楽しいよ」
「そうか、まあまあ楽しいか。石立君はパパよりみんなをうまく引率してるな」
「仕方ないよ、石立は。そういう奴だから」
「みんなのリーダーってわけか。人気者だな」
「うううん、友達いないよ、あいつ」
「え?」私は息子の言葉に凍り付いた。「何だって?うそだろ」
「っていうか、あいつ病気だし」
「何処か体が悪いのか?」
 息子は黙ったまま首を横に振り、右手のスプーンを置いて、指で自分の頭をさした。私は呆気に取られた。暫くまた石立君の様子を見てみた。確かに何だか忙しなく動いてはいる。しかし、みんなの表情は硬い。成程、少し状況が掴めてきた。彼はちょっと「浮いて」いるのかもしれない。
 食事が終わって、おのおの自由行動になった。息子もいつの間にか私の監視下から消えている。まあ、親のいるところで遊べないという気持ちがわからないではない。集合時間まで、自由にさせておいてやろう。
 川で遊ぶ子供たちを観ていて、少し安心した。確かに私の頃に比べるとお行儀良くなった観はあるが、みんな自然を楽しんでいる。私は石立君を探した。彼もやはり嬉々としているのだろうと、、、。しかし、彼が視界に入った時、私は正直当惑した。
 彼は遊んでいなかった。川で遊ぶ同級生達を眺めながら、河辺に体育座りをしていた。その口元は微笑んでいるように穏やかだった。しかし、次第に彼に近づくにつれ、私の鼓動は高鳴っていく。明らかに私は恐怖を感じていたのだ。その、石立君の、瞳に。
 その瞳は、人間のものではなかった。動物のもの、、、いや、そうではない。それは、まるでプラスティックの、そう、そうだ、チャーミー人形のようだった。チャーミーを見つけた。小石川先生は、人間の創るものは機械だけじゃないと言った。子供たちも、創られるのだと。失敗するとチャーミーになる。背筋に嫌な汗が流れた。
「石立君」私は勇気を奮って声をかけた。彼はその瞳を私に向ける。「みんなと遊ばないの?」
「僕が居ないほうが、いいんです」そう答えた石立君は、微笑みを絶やさない。
「寂しくないか?」
「どうぞ、お構いなく」
 私は寂しいかどうかを問うたのだ。「寂しい」でも「寂しくなんかないやい」でも「何で俺が寂しくなくっちゃいけないんだ」でもいい。石立君の内側からの声を聞くことはできないのだろうか。
 お構いなく?まるで用意されたような言葉だ。予測外の、準備応答を超えた質問には、丁度チャーミーはこのように少し「ズレ」る。一つの意味範囲の広い単語を、予測外の質問全てにあてがうのだ。

 翌日、解散場所の駅に戻るまで、石立君はやはりとてもよく皆の役に立った。まるでそれだけが自分の存在価値のように。私は前日の彼の、河原での瞳が脳裏から離れなかった。
 駅に到着したのは、日曜日の正午。迎えに来ていた親御さん達の中に、女房も居た。私達は昼食を摂るために駅前の寂れた喫茶店に入った。
「ごめんなさい。黙って飛び出してしまって」俯いて涼子が言った。
「いいんだ。お袋がまた、何か言ったのか」
「わたしお義母さんと一緒にいるだけで、もう息が詰まりそうなの」
「弱ったな」
「あなたはいつも弱ってばかり、わたしあなたを困らせたいわけじゃないのよ」
「でも、現実に困らせているだろ」
「あなたが困っても、何か事態が良くなるわけじゃないわ」
 涼子の言う通りだ。私が困っても事態は変わらない。変わった試しもない。これもまるでチャーミーのようだ。私は母に対しても妻に対しても、用意した言葉しか、発したことがない。「弱ったな」「困ったな」の繰り返しだ。実際、それしか言うことがないのだ。本当に困ったり弱ったりする余裕はない。もっと切実に困ったり弱ったりしている問題があるのだ。家庭の事は女房であるお前が何とかしてくれなければいけないだろ。
「まだ帰らないのか?」
「ええ」
「浩太、連れて帰るか?」
「浩ちゃん、どうする?パパと家に帰る?それともママとおじいちゃん家帰る?」
 息子は「知るかよ」と言わんばかりにそっぽを向いた。親子の断絶だ。
「そんなこと、浩太に決めさせてどうする」
 いきなり浩太が泣き出した。彼の意見は明確だ。家族が一緒に暮すのが最もいいのだ。
「なあ、もうよさないか。お袋には俺が言っておくから」
「もう少し時間を頂戴。浩太は私が連れて帰ります」


4.究極の玩具
 月曜日、私はいつもより30分早く出社し、田島のじい様と、電子部品を担当している川田真二、リサーチ担当の下村幸枝の3名を、会議室に呼び出した。会議室はチャーミーの在庫で半ば埋まっている。
「実は、今この部署は大変な事になっているんだ」私はいきなり状況から切り出した。まずこの現状を理解してもらう事がプラスなのかマイナスなのかはわからない。「それは大変がんばりましょう」という事になるのか、がっくりと志気が落ちてしまうのか、まあ、うちのスタッフでいうと後者だろう。
「現状を簡単に説明すると、あと一週間程で新製品を開発しなくてはいけない。それも原価50円で売価20000円の商品だ。更にこれは飛ぶように売れなくてはならない。これらの条件が満たされないかぎり、ここは潰れ、皆は解雇になる。もちろん私もだ」
 驚いた事に、みな眉ひとつ動かさなかった。やっぱりという様子なのだ。
「それでわしらに何をせえというんですか?」じい様がブスッと言った。
「退職金は規定額払ってもらいますよ。ぼくは組合員ですから、いざとなれば実力行使しますよ」川田が言う。
「実は私、、、」と下村幸枝はもじもじとして言う。「婚約いたしまして。来月には正式に辞めようと思ってました」
 私は茫然となった。じい様は定年後の暇つぶし、川田は現代的な個人主義者、下村は寿退社。結局、この部署がどうなろうが誰も知ったこっちゃないのだ。
「そうか。先ずは下村君おめでとう。君はもうさがっていいよ」下村幸枝は「失礼します」と笑顔で会議室を出た。何がそんなに楽しいのだ。
「川田、別に解雇が決定したわけじゃない。みんなで本社の連中をあっと言わせるような新製品を作り、盛り返せばいいんだよ」
「無理ですよ、原価50円で売価20000円なんて。会社側だって無理を承知で言ってるんです。どのみち開発室は閉鎖なんですよ」川田はふてくされたようにタバコに火をつけた。
「わしらは結局なにをしたらいいんじゃい?わけがわからん。クビならクビで結構」田島のじい様は同じことを繰り返す。
「だからこそ、みんなでアイデアを出してだな、、、」
「ちょっと待ってください。そんな凄い商品が思いつくなら、自分で会社やりますよ。安い給料で雇われていて、こっちは時間で働いてるんです。労働力を搾取され、アイデアまで搾取されてたまりますか。いいですか?儲ける仕組みを考えるのが会社の役目でしょ。私達は一労働者に過ぎないんです。給料が払えなくなったのなら、他所で働くだけです。ただ、貰うものは貰いますよ」川田は畳み込むように話すと、バンと机を叩いて立ち上がり、在庫のチャーミーをいくつかけっ飛ばしながら出ていった。
 残ったのはじい様と私だけ。私はこの頼りない老人を、最後の頼みの綱とばかりに見た。
「川田君の言う通りじゃと思うがね。わしらは言われた事をやるだけじゃ。言われんようになったら、ただ会社で時間を潰して帰るだけじゃ。そんで会社が儲からなくなったってそれはわしらにはどうにもならん」
 私はまた一連の感覚に襲われた。こいつらもチャーミーだったのだ。自分の出来ることを最初から限定していて、決して他人の役に立とうという心構えはない。時代はチャーミーを量産している、そう小石川教授が力説した意味が、少しづつ見えてきたような気がする。与えられた行動と与えられた台詞。そのキャパシティを超えた途端に全ての機能を停止させる。ストレスやプレッシャーに対して精神衛生上の健康を保つ為に、現代人はチャーミーにならざるを得なかったのかも知れない。
「では田島さん、考えてください。新しい商品、究極の玩具を、あなたの玩具業界数十年の知恵をもって、考案してください。言われた事はやってくれるのでしょう?」
「それは何もせんでいいというのと、同じじゃよ。わしらの頃と今の玩具はまるで違う。もうわしらのアイデアなんて何の意味もないんじゃ。玩具が玩具会社を儲けさせる為だけに作られておる。そんな時代に、わしなんかの出る幕はないんじゃよ」
「成程。田島さんの時代、玩具は何のためにあったのですか?」
「ウン。玩具は幸せになるための道具でがした」
 !!!!!
 何とここでこの老人から、小石川教授と同じ言葉を聞くとは!
「もともと、わしの父親というのは竹細工の職人でしてな。竹ひとつでいろんな玩具をわしら子供達に作ってくれたもんです。そりゃ、今みたいに大した物は作れなんだが、何とも暖かみのある玩具でしたの」
「愛情を感じた、という事ですか?」
「その通りです。量産品には作った者の気持ちが無い。じゃから今の子供は物を大切に扱わないんです。壊してしもうたら作ってくれた人に申し訳ない、とわしらの頃は大事に大事に遊んだ」
「実は、田島さん。私は同じ事を別の人から言われたんです。私の大学時代の恩師です。田島さんとは違い、玩具を科学的に研究している学者です。彼もまた玩具の役割は人を幸せにする事にあると言いました。そしてそれは愛だと」
「その御仁はわかっておられる。じゃが、オタカラオリジナルという大所帯を養うには、そんな理屈は通用せんじゃろ。こすとだのまーけってんぐだの、わしには何やらわからんが、そういうもんが必要なんじゃろ?」
 確かに田島のじい様の言う通りだ。商品として考えた時、玩具は最悪のものに近づいていく。玩具として最高のものは、つまり会社の商品としては最悪なのかも知れない。この両者は常に反比例しているのだ。小石川教授が言わんとしていたのはその中間点を取れという事なのだろうか?確かに先生はヒット商品の開発が可能だと言っていた。あの言葉に嘘がないのなら、そういう事ではない。商品として最高であり、玩具としても最高の物でなくてはならないのだ。
 もう一度先生に話を聞く必要がある。私は会議室の電話の受話器を取ると、外線に繋ぎ、土曜日にかけたハイチの国際電話にかけてみた。
「コイシカワ、出かけた。伝言ある。アナタマツザキサン?」
 現地の人だろうか?彼が言うのには、もうハイチに小石川教授は居ない。私から電話があったら、衛星携帯電話にかけるように託けられたそうだ。私はメモを用意し、ハイチ人の喋る聞き取りにくい電話番号を殴り書きし、お礼を言って切った。
「田島さん、私の先生に電話しますから、一緒に聞いていて欲しいんです。あなたなら何か先生の言う事から究極の玩具を生み出すヒントが得られるかも知れない」
「ようがすよ。あんまり難しい話をされてもてんでだめですが」
 私は衛星携帯に電話をかけてみた。衛星携帯電話に電話するのは、これが初めてである。聞いたこともないコール音が何回か鳴った後、電話が繋がった。私は会話が田島のじいさんにも聞こえるように、受話器をスピーカーに切り替えた。
「もしもし。小石川先生ですか?」
「やあ、君か。もうそろそろかけてくるんじゃないかとは思っていたんだ。(ザザー)うっぷ!ここは砂嵐が凄くてかなわん」
「今、どちらにいるんですか?」
「シリアだ」
「ええっ?!2日で、ハイチからシリアへ?」
「リーガンという女の子に取り憑いた悪魔を追って、古代アッシリア遺跡にいる。(ザザー)うっぷ。ごほっごほっ。そんなことは良い。チャーミーは見つかったかね?(・ゑ"・゜∧・ミ・ヾ・"ゞ・「ザ・遉ォ・トソシア・ハ・オ、「・、筍「ハクサ゚御轤ャテヶ擂乂ヱ^儿ヰ~)」
「なんか先生の背後から意味不明の文字化けが、、、」
「ああ、録音しているから興味があれば送ってあげよう。逆再生すると意味がわかる」
「あの、お取り込み中ならまた後で、、、」
「いや、平気だ。それよりチャーミーが至る所にあることがわかっただろう」
「はい。日本中がチャーミーになっているような気すらします」
「そうだ。それがわかればゴールは近い。次にやることはあらゆる現代玩具の既成概念を取り払う事だ。先ずは玩具の流通という側面から入るといい」
「玩具の流通ですか?つまり工場から子供たちの手に届く過程ということですか?」
「そうだ。ここに大きなコストがかかる。しかし、古くは玩具というものは、父親や周囲の大人たちが作って与えていたものだ」
 話が噛み合ってきたような気がした。
「先生。ここにうちの設計担当者がいます。先生の話も聞いています。彼の話も聞いて欲しいんです。彼はやはり先生のおっしゃるように、玩具が幸せのためにあると、、、」
「ほほう。すると年配の方だね。小石川です。どうぞよろしく」
「こちらこそ。田島元吉です」
「田島さん、あなたはお孫さんがいらっしゃるかな?」
「はい、おります」
「お孫さんにオモチャをお作りになった事がありますかな?」
「ええ、今はもう大きいんで作りませんが、小さいころは良く、、、」
「作り方を教えもしましたな」
「はい、おっしゃる通りで。じゃが孫の両親が刃物などを使わせたがらんもんで、満足には、、、」
「ウン、困ったものだ。現代っ子は刃物で怪我をしないから、人に刺すとどういうことになるかの想像もつかない。もっと田島さんのような方がいらっしゃればねえ」
「いや、わしのは、わしの父親が竹細工の職人だったもんでね、見様見真似でして、とても究極の玩具というわけにやいきませんやね」
「究極の玩具ですと?玩具は人間の創意工夫の結晶です。あなたがお孫さんを喜ばせようとする気持ちが、究極の玩具そのものなんですよ」
「先生、、、」と私が割って入った「今、その事で彼と話をしていたところです。どうしても採算を考えると、手作りのオモチャでは駄目なんです。まず量産できない。逆に商品として良いものは、オモチャとしては駄目なものになってしまいます」
「うーん。君は大きな勘違いをしているようだな松崎君。オモチャが子供に遊びを提供するのではない。子供がオモチャに遊びを提供するのだ。まあいい。私は明後日には東京に居るから、一度会わないかね。君に見せたいものがあるのだ」
「それは願ってもありません。場所とお時間を指定していただければ、出向きます」
「そうか。では日本時間で25日15時に白泉女学院の裏門に来てくれたまえ。うわっ(Ё飃ケ蟆、ヌЖュ躔ェ、Йッ蟾И゙、ж螟・Ы゚゙Эォ、ェЯヘ・・)イナゴの大軍が襲ってきた。悪いがまたにしてく、、(プツッ、ツー、ツー、ツー、、、)」

 小石川教授の電話が突然切れたので、私と田島のじい様は呆気にとられてお互いの顔を見合わせた。
「変わった御仁ですねえ、室長の先生は」
「そうなんだよ」

 会社から帰宅する途中、私は妻の実家に寄ってみた。娘の恵理はパパに会いたかったらしく、玄関先まで飛んできて足にしがみついた。
「ほらほら、パパ歩けないじゃないか」
「泰彦君」とお義父さんが話しかけた。「涼子の奴が我儘を言っていてすまんね。困っているだろう色々と」
 何と答えたらいいかわからず、苦笑いをしながら首を横に振った。
「泰彦さん、良ければ夕飯を食べてゆけば?」とお義母さんが言うので、私は母に電話をして食事を外で済ませると伝えた。妻の実家だとはとても言えない。

 夕食のメニューはすき焼きだった。まるで私が「今日あたり来るだろう」と予測されていたようだ。妻の妹の佳奈子さんは今年32才だがまだ嫁に行く様子はない。7人で食卓を囲むと、さすがに賑やかだ。涼子はずっと黙ったままだ。気まずい雰囲気が続く。
 子供たちにも状況は理解できている。普段はお喋りをしながら食事をしている2人も、馬鹿におとなしい。
「まあ、夫婦の問題だから私は何も言えないが」口火を切ったのはお義父さんだった。「子供たちの為にも、一度よく話し合った方がいいのじゃないかね」
 そうか、涼子はうちのお袋の事は何も言っていないのか。少なくともお義父さんには言っていないのだ。
「ええ、そうしてみます」私は言いながら涼子に目配せをした。
「うん。わかったわ」涼子が言った。
「夫婦の問題じゃなく、嫁姑の問題よ」いきなり佳奈子さんが言った。「お姉ちゃん、義理立てする必要ないのに」
「佳奈子!」女房が口調を強めた。「あんたにはわかんないのよ。私だってお義母さんの事を嫌いになりたいわけじゃないの。ただ、息が詰まるのよ。限界だったの。暫くしたら戻るわ。でも今はそれも考えたくないの」
 また沈黙が訪れた。暫くしてお義父さんが立ち上がった。
「あなた、もうご飯よろしいの?」お義母さんが素っ気なく言う。
「んん、もういい。ごちそうさん。泰彦君、ゆっくりして行きなさい。私はもう失礼するよ」そう言い残してお義父さんは食卓を離れた。「えりり(お義父さんは孫娘をこう呼ぶのだ)、えりりはじいちゃんと遊ぶか?」
「うん、遊ぶ!」恵理は椅子から飛び降りてお義父さんに駆け寄った。恵理を抱き上げてお義父さんは居間へ消えた。
 いつもなら「泰彦君、まあちょっと一杯」というところだが、今日ばかりはそうもいかないようだ。
「男はいつも、肝心な時には逃げるんだからねえ。ああいやだいやだ」お義母さんは小声でぼやきながら、お義父さんの座っていた場所のテーブルを台布巾で拭いた。「あら、泰彦さんの事じゃないわよ」
「いえ、私も逃げていたんです。涼子の話に耳を傾けようとしなかった。お袋の話も」
「そうよ、あなたはいつも、眠い、考え事をしている、今は聞いても頭に入らない、そんな事ばっかり。私はお義母さんと結婚したの?」
「すまなかった。一体どんな事でお袋と衝突しているのか、聞かせてくれないか?」
「何度も話そうと思ったわ。でもあなた、、、」
「仕事はもういいんだ。もういい。これからは君の話だけを聞いたっていい」
「どういう事?それ、仕事辞めるの?」
「辞めさせられるんだ。もう時間の問題なんだよ」
 食事はお義母さんによって下げられ、2人の前には熱いお茶が出されていた。涼子はすっかりお客さん気分だ。気を利かせたお義母さんは、佳奈子さんと浩太を2階へ行かせ、自分は洗い物を始めていた。食卓には夫婦2人が残されていた。
「そんな状態だったなんて、私しらないで。ごめんなさい」
 突然、恵理がタッタッタッタと駆け寄ってきた。
「ねえ、見てー。恵理のおじいちゃん、凄いんだよ」
 娘がそう言って持ってきたのは、折り紙だった。新聞の中折り広告を使って、人間の顔が折られている。見事なものだ。こんな折り紙は見たことがなかった。
「あんた、ちょっと、向こうへ行ってらっしゃい」涼子が恵理を追い払おうとしていたが、私は恵理の持っている折り紙に魅せられていた。
「これ、おじいちゃんが折ったの?」と恵理に聞いてみた。
「そうだよ。凄いでしょ、お面だよ」
 恵理に対する、お義父さんの気持ちがよく伝わってくる。これが究極の玩具なんだな。恵理はこの紙切れを、壊れないように大切に持っている。私もできれば、子供のために折り紙を折ってやるぐらいの時間が欲しい。そう、せめてそれぐらいしてやりたいのだ。私は子供たちのために、本当に必要な事をしているのだろうか?私の中で何か次第に、価値観が変化していた。本当に必要なことは何だろう。家のローンを払い続けることだろうか。その家には今、お袋がひとり寂しくテレビを観ているだけだ。会社で出世する事だろうか?何処まで行っても、定年まで走り続けるだけだ。退職金だってたかが知れている。これからの日本、まだどんどん不景気になって行くだろう。本当に守るべきものは、金では買えないかも知れない。
「失業保険で、暫く家に居るか」
「あなた、本気なの?」
「まだ、よくわからない。だが、仕事をする事だけが、家庭を守るという事じゃないんだと、そう思うんだ」


5.レディ・メイド
 小石川教授との約束の日が訪れた。何故、先生は白泉女学院などで待ち合わせようと言ったのだろう。ここで彼は何かの講義でもする予定なのか?大学ならわかるが、女子高で彼が講義をすることがあるのだろうか?
 約束の時間午後3時、私は裏門へと足を運んだ。裏門の辺りは、住宅地との間にちょっとした雑木林を隔てており、ひどく寂しい場所だった。学院のフェンスは人間の背丈より少し低いぐらいの生け垣で覆われ、校庭が僅かに見え隠れしている。
 ふと、その生け垣にカメラを向けている不審人物を発見した。ストーカーか、盗撮魔に違いない。ここは女子高なのだ。私は瞬間的に社会正義にかられ、駆け寄りながら大声を出した。
「おい君!そんなところで何をしているんだっ!」
 男は吃驚してこちらに顔を向けた。向けられたコチラもさらに吃驚!
「小石川先生!?」
「あ、松崎君」
「あ、松崎君じゃないですよ。何やってるんですか。ストーカーじゃないですか」
「人聞きが悪いなあ。研究のためだよ。まあ、個人的な趣味もあるが」
 彼がカメラを向けた先では、体育着姿の女子高生がマラソンをしていた。
「一体、何の研究ですか。盗み撮りの実験ですか?」
「年頃の女の子の可愛らしさの研究、とでも言っておくかな。美しいものを撮って何が悪いのかね。富士山を撮影するのと、何が違うというのだ」
 違うと思うけどなあ。
「何故、美しいものを撮るだけの事で、そんなに社会が警戒せねばならないのだ。カメラで女子高生を撮る人間は、必ず飽き足らなくなって刃物を持って乱入し、彼女達をブスブスと突き刺すと思っている。そういう思い込み、決めつけ、大ぐくりは何に寄るものかね、松崎君」
「それは、、、その、、、チャーミーです」
「その通りだ。犯罪者とそうでない者を区別する手間を省いた、怠惰な心から来るのだ。私が彼女達に危害を加えると思うのかね?」
「いいえ、思いません。しかし常識的には盗み撮りでしょう?」
「許可を得てはいないが、私は堂々と撮っている。何をはばかるでもない。例えば君が警察を呼んだとしよう。私は身分を明かし、これこれこういう事情で撮影していた、と言う。それだけの事だ。私が変わり者で通っている学者なら許されるのかね?無職の精神病歴者なら許されないのかね?研究という大義名分があれば許されるのかね?単なる助平心だと許されないのかね?そんな事は本来、本質的な事柄ではない」
「そうですか。ちょっとついて行けませんが、もういいです。本題に入りましょう。売れる玩具についてです」
「君はまだ、そんな事を言っているのかね。売れる、売れないは関係ない。価値のあるものかどうか、それは極めて個人的な領域なんだよ。君の感性がまだそんな場所をうろついているのだとしたら、これから私が見せる物にも、あまり関心がないかも知れないな。今日はとっておきの逸品を持ってきたのだが」
「すみません、是非見せてください。ストーカー呼ばわりしたご無礼もお詫びします。売れる玩具ではなく、真に価値のある玩具ですよね」
「よろしい。では見せてあげよう。ジャーン!これが私が開発した玩具、『ボトルネック』だ」
 小石川教授は手提げ鞄の中から「それ」を取り出した。彼言うところの「ボトルネック」とやらである。
 それは非常にラムネ菓子に似ていた。て言うか、半透明の緑色の、プラスティック容器の、駄菓子屋に売っている、それはつまり何処にでもあるラムネ菓子そのものであった。
「これが、その、『ボトルネック』ですか?」
「何が言いたいのかね。君の言いたい事は大雑把には憶測できるよ。君はこう言いたい。これは、あの『あれ』じゃないかと、、、。違うかね?」
「その通りです。だってまんま『あれ』じゃないですか?これは」
 小石川教授はヤレヤレと言わんばかりに首を振った。
「これは、『あれ』じゃなく、『ボトルネック』。私が開発した玩具だ。いいかね松崎君、これがかつてラムネ菓子として売られていたからといってそれが何だというのかね?それはこれが『ボトルネック』であることを否定するだけの強い要素かね?」
「おっしゃっている意味がわかりません。ではそれが『ボトルネック』だとして、どんな玩具なのですか?」
「先ず、下らない既成概念を全て捨てきるのだ。これは何か?そんな事を考えてはいけない。さあ、手に取ってごらんなさい」
 先生は私に、未定義のその物質を手渡した。
 ラムネ菓子の容器だ。いや、そんな事を考えてはいけない!捨てきるのだ。これは何かという問題を頭から切り離すのだ!
 表面がデコボコしていて、適当な固さがある。手触りはスッキリでもネットリでもない、程良い感触。何よりも懐かしい感じだ。
「どうだね?」
「何やら、言い得ない幸福感があるのは、認めざるを得ませんね」
「それが、何に起因するものか、わかるかね?」
「そうですね。私はよく昔『これ』を握っていた、という記憶でしょうか?」
「まだ君は『それ』をラムネ菓子だと認識している。そうじゃない。そうじゃないんだ。よく自らの魂の叫びを聞くのだ。それは、、、、何だ」
 ふと、私の顔から火が出るような、むず痒い感情が支配した。
「どうだね。気がついたかね?それは自慰行為なのだ」
「そんな馬鹿な」
「否定してもはじまらないのだ松崎君。『弄り』の根源的な衝動は全て自慰に起因する。否定できるのかね?私は見たわけじゃないし見たいとも思わないが、君がしているとほぼ確信できるのだがね。君は自慰行為をしたことがないというのかね?」
「えっ?そんな事は言いませんが、、、」
「している、とも言えない、、、かね。馬鹿げた事だと思わないかね?高倉健だってピアーズ・ブロスナンだってしているに違いないのだ。しない奴なんか殆どいないのだ。こんな常識的な事柄が、幽霊の存在よりも認知されていない。実に馬鹿げた事だと思わんかね?」
「はあ、、、」
 私が理解に苦しんでいると、小石川教授は下校途中の女子高生に駆け寄り、何やら交渉を始めた。暫くすると女子高生はにこやかに頷き、教授から渡された「ボトルネック」を握って、カメラに向かってポーズをとった。それを数枚パシャパシャと撮ると、教授は女子高生と手を振って別れ、私のもとに帰ってきた。
「これを見たまえ」カメラを裏返すと、小さな液晶画面があった。デジカメだったのである。彼は今撮ったばかりの数枚を表示させると、私に見せた。
 その小さな液晶画面を覗き込んだ瞬間、私は言い様のないノスタルジーの中に引きずり込まれた。そこには遠い昔に失ってしまった青春があった。制服の少女は、その白魚のような指で緑色の「ボトルネック」を握っていた。私の胸の奥に眠っていた熱い想いが、むくむくと首を持ち上げて来るのがわかった。
「どうだね?面白いだろう」
「ええ、お、面白いですね」
「幸せかね?」
「、、、幸せです」
「これは一応用例に過ぎんのだ。『ボトルネック』には無限の可能性が秘められている」
「なるほど、、、しかし、一つ間違えると玩具ではなく、大人の玩具ですね」
 私は一言余計な事を言ってしまったようだ。みるみる先生の眉が釣り上がった。
「何を言っているのかね!玩具に大人も子供もあると思うのかね。そういう偏狭な概念が常に根本的な過ちを生んでいるのだという事に、君はまだ気がつかないのかね?」
「す、すみません。余計な事でした」
「さて、次は女の子用の玩具。名付けて『スループッシー』だ」
 教授が鞄から取り出した新たな玩具。今度は私は、それがコンニャクであることを頭から完全に排除しなくてはならなかった。

 小石川教授との有意義な時間はあっという間に過ぎ、彼はルーマニアに行くために飛行場へと向かった。「ボトルネック」と「スループッシー」の2つを、合計4万円で購入した私は、勇んで商品開発室へと戻った。
 「田島さん、見てください。究極の玩具を開発する上でのヒントになる2つの玩具をゲットしましたよ」
 私はそう言うと、机の上に「ボトルネック」と「スループッシー」を置いた。
 田島のじいさんはキョトンとしてそれを眺めている。どうやら彼にはラムネ菓子とコンニャクにしか見えていないようなのだ。
「室長、何の冗談です?」
「冗談じゃない。冗談なんかじゃないぞ、冗談なんて冗談じゃない!」
「まあ、ちょっと落ち着いてください。これが私にも、ラムネとコンニャク以外に見えるよう、順を追って話してくださいや」
 私は小石川教授の言った事の一部始終を、記憶の限り正確に説明した。
「それで、これらを4万円で買ってきたんで?」
「そういうことだ。どうだね、目覚ましい前進だろ?」
「うーむ。なるほど、小石川の旦那の言いたい事は察しがつきました。しかし高い授業料でしたね」
「え?」
「これらはどちらも売値が50円ぐらいのもんです。それに両方とも手作りじゃねえです」
「ああ、まあそうだな」
「それを、室長はひとつ2万円で買ってきてしまったんですよ」
 何だって?!
 50円の原価で20,000円の売価、、、、、確かにそうだ。
 彼は本物の天才だ!
「レディ・メイドだ。田島さん、最後のキーワードが解けたよ。これらを総合して行けば、必ず究極の玩具が出来るはずだ」
 私は会議室の片隅に追いやられたホワイトボードを引きずってくると、乾き始めたフェルトペンで、大きく、「究極の玩具」と書いた。
「実は今回、2つの玩具を小石川先生から購入した事で、彼が今までに教えてくれていたことの断片が全て繋がったような気がするのだ。最初に先生が言ったのは、玩具とは『人を幸せにするもの』という定義だった。そして更にその幸せとは『愛情の交流』である、と言う事を明確にされた」
 ここまで話して私は、「究極の玩具」の下に2本の線を書き加え、それぞれに「人を幸せにするもの」「愛情の交流」と付け足した。
「さて、ここで、私達がこれまで作っていたものは、これらの正反対のモノであったことを指摘された。即ち、『チャーミー』だ。『チャーミー』がどのように最低の玩具であるのか?それを解くことによって、逆説的に私達は『究極の玩具』の輪郭を捉まえる事が出来るだろうと」
 私は「究極の玩具」と記したすぐ右に、双方向の矢印(←→)を書き、更にその右に「チャーミー(最悪の玩具)」と記した。
「『チャーミー』の欠点は何か、まず、、、」
 そして私は、「チャーミー」の下に欠点を列挙していった。
「無意味な高性能」
「用意された応答」
「遊び方を限定する」
「量産される」
「そしてこれらに対する正反対のものが、『究極の玩具』の条件となるはずである」
 4つ書いた欠点の左に、双方向の矢印(←→)を書き、対向する項目、即ち「究極の玩具」の条件を付け足していった。
「機能の厳選←→無意味な高性能」
「情緒的反応←→用意された応答」
「無限の可能性←→遊び方を限定する」
「無二の存在←→量産される」
「さてここで、大きな壁に突き当たった。まだ玩具というものが流通を得ない時代には、玩具はそれを作った者の気持ちが込められているものだった。単純なものが多かったのでおのずと機能も限定されたものだったし、遊ぶ側も色々に工夫して別の遊びに使わざるを得なかった。しかしそれは地球上にたった一つの大切な玩具だった。
 即ち、ここに書いた4つの条件を全て満たしているのだ。それが手作りの玩具だ。にも関わらず、企業がそれを作るという事が不可能なのだという大問題に突き当たってしまったのだ」
 ここまで、話して、私は田島のじい様の反応を窺った。彼は深く深く頷いている。ここまでのコンセンサスは得られたようだ。
「さて、そこで登場するのが、『レディ・メイド』だ。単に『既製品』という意味で使っているのではない。価値の再構築の事を言っているのだ。マルセル・デュシャンは、どこにでもある便器を展示して『泉』というタイトルの芸術作品を創り得た。美術用語で『レディ・メイド』と言うと、それは価値を再構築する事を意味するのだ」
 私はホワイトボードの中心に赤のフェルトペンで「価値の再構築」と記し、その周りを何度も丸く囲った。
「手作りであることが、大切な要素ではなかったのだ。玩具本体の物質的な価値に拘っていたからそういう発想になった。本当に必要なのは、玩具を使う側の精神的な背景なのだ。単純なる物が、自分にとって無二の存在になり、情緒的につながった瞬間、それを遊ぶ事が出来れば、無限の可能性が広がる『究極の玩具』となるのだ!」
「なんですかい?じゃあ、室長は、つまり、その、何か50円の物を買ってきて、2万円で売ればいいと、そうおっしゃってるので?」
「その通り!」どうやら田島さんにも答えが見えたようだ。


6.審判の日
 根っからの会社人間である本宮忠男に、小石川教授の柔軟な発想が理解できるのだろうか、という危惧はあったが、私と田島のじい様で考えた「究極の玩具」は、もうあと僅か数分後には彼の元に披露されるのだ。
 本社戦略室の待合ロビーで、今この時とばかりにお呼びを待っている私と田島のじい様は、どうも落ち着かないので、会話を続けていた。
「しかし、良いブツがあったものだ。お手柄だよ田島さん」
「へい。100円ショップで2個入りで売ってました」
「これならグウの音も出ないだろう。完璧な『究極の玩具』だ」
「わしもそう思います。全てのゲームの原形とも言えますからね」
「しかし、あの頭の堅い本宮に、この玩具の真価がわかるだろうか?」
「まあ、ひとつひとつ、説明して行かんといかんでしょうな」
「それは大丈夫だ。この1週間、パワポでプレゼン資料を作るのに必死だった」
「パワポもプレゼンも、意味はわかりやせんが、応援していやす」
「おう」

「松崎開発室長、戦略室長がお会いになるそうです」

 とうとう来た、審判の時が。
 これで何もかもがうまく行く。女房も帰ってくる。会社を解雇にならずにすむ。いや、ひょっとすると前代未聞の大出世をしてしまうかも知れない。
「ところでそのサ、、、いや『究極の玩具』の名前は、考えてあるんですかい?」
「ああ、とっておきのをな。『THE CUBE』っていうんだ」
「クウーッ。泣かせる名前じゃねいですかい」
「そうかい?」
 私は、眼前に迫った戦略室のドアを、暫く睨み付けると、一度深く呼吸をし、ノックした。
 私のゴールは、もうすぐ、この扉の向こうにあるのだ。


(おわり)

****** 訳者あとがき ******
 本書は1999年にReaders Direct社から刊行された、「Who moved my Cube?(俺のキューブを何処へやったんだ?)」の全訳である。
 250万部を在庫し、Readers
Direct社を破滅に追いやったワーストセラーである本書は、一時世界50カ国語への翻訳が企画されたこともあったが、本書に書かれたTOY理論を世界の産業が応用すれば、世界的な大恐慌を引き起こしかねないとして、出版が見合わせられたという経緯がある。
 著者は、Weekly Literalies & Literaturesの編集長であり世界玩具学会の会長でもあるNiceman
Bookgap博士で、他の著書に、「Do Candy's paper rolled by hand at
once?(キャンデーの包みはいちいち手で巻いているか?)」や「Rech rabits and Poor tatols(金持ちウサちゃん貧乏亀さん)」等がある。
 本書の物語は、平凡な玩具メーカーのサラリーマンが体験する苦闘と困難の日々を、ヒット商品誕生の源を辿りながら進行する。エンターテインメントと経済書とを兼ね備えたという異色作で、混迷した日本経済に本書が新風を巻き起こす事を、訳者としても最も期待するところではあるが、こんな創作裏話もある。
 本書は、ある工場を再生するサクセスストーリーで、全米で250万部のセールスを記録したTHE
何とかいう小説がもとになっているというのだ。Bookgap博士はそれは全くの「逆」だ、と主張している。その問題の作品は明らかに本書の著作権を侵害しているので、近く裁判に持ち込む、と息巻いている。どちらが真実かはともかく、本書の持つ不思議な魅力に、一人でも多くの読者が魅了されるのを祈ってやまないものではないだろうかなどと思ってみたりもするのだったのであるのだが、皆さんはどうお感じになっただろうか?

 世田谷の自宅にて              本間良太


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