口(sai)

by 赤池あすら


  はじめに

 「口」字はもととつくり、さいと読んで、祝詞を入れる器である。また器はしゅうと読むさいを四つ並べた形に、犬牲を供えた象である。
 20世紀初頭から安陽の殷墟が発掘され、甲骨文などから殷史や古人の習俗が知られるようになり、この小説がそうした考古学的な成果にもとづくものである部分は多いし、またその種の研究を啓蒙する目的も、ここになくはない。専門的にすぎると思われる言葉、および作劇上必要な情報は注記として簡単に説明することとした。
 そうは言っても、最新の研究成果をあまねく閲覧しえるはずもないし、たとえそうしたところで、ここにある物語が、殷の昔の実際と違えることがないはずもない。
 ただ、古くから、巫祝(シャマン)はただ誠をもって神に使えるべしとされてきたし、同感であり、思い当たる。
 僕、赤池アズラは、ここに、思慮深く書の神に仕え、入れ、聴くことを誓い、この物語を、すべての人々にかくは申し上げる。


 第一回 殷王人牲を欲すのこと
     婦好大いに舞って夷風に卜問するのこと

 思うに宇宙開闢の昔から、電子情報が地球上を行き交う昨今にいたるまで、世界のありさまというものは、それほど大きく変わるところはなく、一様に広がって、我々を内包し、粛々と営まれて揺るぐことがない。
 そうであるのにかかわらず、あまねく書物をひもとき、また行脚して世界を見聞してみるに、人々はさまざまに思い煩い、またそのために争って、浅はかな欲望に尽きるところはなく、栄枯を繰り返して学ぶということがないように見える。
 とはいえこうした愚かさゆえに引き起こされる諸相が、人間にまったく無益であるとは到底思えない。それというのは、我々は、こうした中に、恍惚とするばかりの美を見出し、学ぶをえることが、ままあるからである。これを我々は芸術と呼び、文字によるものを書、また文学という。
 さて『史記』殷本記に見えるところの殷の昔、王武乙のころ、王の墳墓を造営するために、殷の軍勢が近隣の諸族を攻め、数千の捕虜を得た。人夫とし、後にはその一部を人牲とするためである。
 
 この征伐に先立って、殷の巫覡たちは大いに占卜してこの戦争の次第を取り決めた。

 注記:巫覡はシャマン。巫が女、覡が男。殷のころ、亀甲獣骨を焼いて水を打ち、亀裂を見て卜し辞を刻むことが盛んに行われた。占いを貞といい(『説文解字』貞は卜問なり)、巫覡のうち、貞人はとくに重要であった。

 華山のふもとに井という姜族の城塞があり、貞人が将軍の人選を占った。
 「甲午卜して葦貞ふ。今春、王は人三千を供せしめて姜(キョウ)を征するに、婦好をもってこれ伐せんか」
 甲午の日、貞人、葦が、三千の軍勢を、王女の好(コウ)に授けて、姜を討てるか否か占った。すると大いによしと出たので、好は殷兵を率いて、殷都から西のかた、華山へ進軍した。

 注記:甲骨文に婦人の将軍を述べるものがいくつかある。珍しい事例ではあろうが、殷の習俗が後の周以降に比べれば、女卑の癖の少ないものであったことは確かなようである。

 好は巫であった。殷の王族はおしなべて巫覡である。王は神聖な聖人であり、王族は神の声を聴く。ゆえに衆に尊ばれ、抜きん出ることができる。好はこれまで主に雨乞いの祭祀をしてきた。占卜と違うことなく、必ず雨を降らせてきた。殷人はまだ年若い好を、すでに偉大な巫であると認めている。だからこのたび姜の討伐を任された。好に従う三千の兵卒、多くの勇将たちも、好を畏れ、敬っている。
 殷軍が山西の峠を越えるとき、一陣の強風が巻き起こって、兵が何人も崖に飲み込まれた。すわ異族の神の襲来かと殷兵はみな危ぶんだ。そのときひとりの男が、
 「なんぞ畏れる。姜の岳鬼、なにするものぞ。我らに媚好あるを忘れたか」
 と大声で呼ばわった。

 注記:強力な巫をとくに媚ということがある。

 諸人見れば容貌堂々として威風凛々、虎文の鎧をまとい、象牙の兜をいただいて、相貌きりりと引き締まり、いかさま世の常にない偉丈夫。これぞ殷の王族で虎甲(ココウ)という豪傑。虎甲は好の近縁で、幼いころから気心が知れている。互いに未婚であるから、両家でそういう話も出ている。しかし好がうんと言わない。好は巫祝に生きると決めている。
 「虎甲! おのれ!」
 好は車上で虎甲の声を聞き、苦々しく思った。またくだらぬ祭祀をやらされそうである。好の苛立ちを知ってか知らずか、虎甲は好の車に駆け寄って、拝し、
 「好将軍、いませ。いま姜の岳鬼が突風を起こし我らを襲っておりまする。なにとぞ、卜問を」
 などと言う。
 「黙れ!」
 好は腹を立てた。怒鳴った。虎甲の企みは充分にわかる。ここで自分が巫としての力を顕示すれば、兵卒と諸将はますます自分を畏れ、従う。若年の娘を将軍にいただくことを快く思わない将もいる。好の巫の実力を疑う者もいる。だがくだらぬ。岳神など、ここにはいない。いれば、好は虎甲などに促されずとも、祭祀、呪禁をもってこれを払う。偽りの儀礼を行えというのだ。好は車を飛び出した。諸人見れば、長身に天冠をいただき、白金の鎧をつけ、長い髪を束ねて三交にし、容貌秀麗、雪のごとき白い肌に眼光は爛々と輝き、威風凛々と風を切るその姿。
 「虎甲!」
 「好将軍、まず見鬼を」
 虎甲は謹んで傾首する。その凛とした所作がますます癪にさわる。
 「そのほうの顔、見るのもいやじゃ!」
 言い放ち、虎甲の額のあたりを指差す。指を指すのは、呪詛である。針を打ち、その場に留め置く、金縛りの効力と意味がある。
 「恐れ入りまする」
 虎甲はひざをつく。すでに一歩も動けない。殷軍中でも第一の豪傑たる虎甲がである。好に指を指されたなら、熊ですら一瞬ひるむであろう。思い巡らす。
 〈なんだってんだい。そりゃあ、虚術だ。でも好娘娘(ニャンニャン)を思ってのことじゃないか。なんだってんだ。指差しはひでえや〉

 注記:娘娘は女神の意で、ここでは女性への尊称。

 虎甲もまた覡である。見鬼くらいはできる。岳神がいないことは知っている。
 「そのほう、われを使役せんか!」
 好が怒鳴りつける。好の近侍の者たちがさまざまになだめる。
 「姫さま、いかがなさいました」
 「姜の岳神いますに、これ何事でございますか」
 好は聞く耳を持たない。殷で第一、すなわち中夏第一の大巫を自任する自分が、使役されて偽りの祭祀を執り行うなど、我慢がならない。虎甲は自分の才を侮っている。許せなかった。このまま挙動による呪詛をもって虎甲を殺してしまってもいいと思った。
 そのとき、突如として好の脳髄を一線の雷が走り、彼女に天を仰がせた。直後、雷雲もくもくと起こって天を覆い、たちまち豪雨と電光が殷兵に降りそそぎ、突風がおびただしく吹き荒れて、峠に落ちる兵卒の叫喚が、山々に鳴り響いた。
 「娘娘!」
 虎甲が叫ぶと、天を見ていた好、虎甲にきっと向き直り、
 「虎甲、矛をもて!」
 「娘娘、岳神だ、それも、大物だぞ!」
 「岳神にあらず。夷風なり」

 注記:夷は方角神の一で、西の神である。西風をつかさどる。

 「夷風! 娘娘、どうする!」
 虎甲は畏れた。だが虎甲は臆病ではない。胆力は衆に抜きん出る。夷は天帝に次ぐといえるほどの強力な神である。その力は人智を超える。畏れるべき神なのである。
 「じゃから、矛をもてと言うに! 急げ!」
 「諾!」
 虎甲が走って好の饕餮文画の矛をもってくる。好に手渡す。

 注記:饕餮(トウテツ)は虎身人面、腋下に多くの目を持ち人を食らうといい、もと楚地の神であったらしい(『神異経』)。四方の果てに追放された四凶の一(『左伝』)で、飢渇した貪欲な怪獣である。殷の銅器にその姿を文様化したものが多くあり、饕餮文という。虎をその頭部を中心に見開きにした形である。殷の勢力が漢水にまで及んだものか、饕餮は殷に取り入れられ、邪を払う強力な魔神として祭られた。

 「争うのか? 死ぬよ、娘娘!」
 矛を渡しながら、虎甲は叫ぶ。好は虎甲の覡の才を見限った。腹立たしいほどの節穴である。
 〈阿呆!〉
 内心、ののしった。夷に人間が立ち向かってかなうはずもない。神風に立ち向かっては折れる。なびき、伏し、通り過ぎるのを待つほかない。下手に出るのである。
 好は矛を取ると、兵団の前、崖の手前まで一気に踊り出て、四肢と気、肺活の限りをつくして大いに舞った。その矛舞の華麗さ、苛烈さたるや、目前に一千の軍勢、あるいは巨虎と格闘せんばかりであった。
 「姫、危のうございます!」
 好の近侍の者たちが、突風と雷雨から身を守って伏しながら叫ぶ。虎甲はそれを制する。
 「黙ってろ!」
 虎甲には、いままさに、炎のごとく赤い鳳の姿をした夷風が天上いっぱいに羽ばたいて、好と激しく戦っているさまが、はっきりと見えた。いや好は、戦っているというよりも、防いでいる。雨あられと降り注ぐ夷風の羽の矢を、饕餮文画の矛をもって、なぎ払っているのである。
 「祭祀である。神妙に大巫に従うべし」
 と虎甲は衆を喝して、好を拝してぬかずいた。
 やがて雷雲が晴れる。好の舞に一分の隙もないことを見て取った夷風は、好に譲った。好は命乞いをしたのである。全身全霊で舞うことによって、己の力のすべてを夷風に見せた。自分がここで死ぬべきか否か、夷風に卜問したのである。夷風は好が死ぬべきではないと告げた。こうして、夷風は通過した。
 「晴れた...」
 虎甲がつぶやく。殷兵が歓喜し、そろって好を敬い、誉めそやす。
 さしもの大巫、好も心根疲れ果てた。虎甲に矛を渡すと、ぐったりと彼にもたれかかった。
 「虎甲、わが舞、どうじゃ」
 「娘娘、どうって、美しかったよ。俺あ、涙が出た」

 注記:美字はもと羊の象で、羊牲をほめる語。

 「夷風、手強し。危なかった」
 「いやあ、娘娘の敵じゃあねえよ」
 「虎甲! 滅多なことを言うでない。われらはいま夷風の情けを受けた。羊をもってこれを祭るべし」
 羊が四頭屠られ、血が銅器に注がれて、巫たちによって祭られた。夷風に羊をささげて、もってこの祭祀は終わった。
 そのさまを眺めながら、好はひとり思った。
 〈夷風を使役するとは姜人恐るべし。大巫、大覡あるに相違ない〉
 ひとり、怒鳴った。
 「ふん、ちょこざいな!」

 ちょうどそのころ、井城の望楼に立って、天を見上げるひとり覡あり。名を姜一(キョウイツ)。姜の王である。
 「夷風が譲った」
 信じられなかった。全霊を用いて夷を祭った。殷軍を襲わせた。
 「析を呼んだか」
 と思ってみた。析は東方神である。夷に対抗して風雨で互角に渡り合えるのは、析以外にいない。しかし、姜一が天を見ていた。その兆しはなかった。ただ人力で夷風を退けたと判ずるほかない。
 「殷に大媚あり」
 姜一はそう見て取った。覡ではない。媚である。夷風が人に情けをかけるとすれば、それは強力な媚以外にはありえない。
 「兄上、夷を払う媚が殷にあると?」
 女が姜一に寄り添う。姜一の妹で、夫人でもある姜斎である。
 「斎姉の上を行く媚か」
 偉丈夫がいて、姜一にたずねる。姜一の弟で姜二、姜族第一の豪傑で、矛術の名手である。
 「わからん。常にないことである」
 姜一が答えるが、姜斎が弟をにらみつけ、そんなことはありえないと眼でとがめる。姜斎もまた自尊心の強い大媚である。媚である姉に眼力を使われて、姜二はとっさに傾首して目をそむけた。拝してわびた。傾首の所作は、眼をそむける目的がある。相手を見ることは、ともすれば、呪うことになるのである。ここでは、その礼の順序が逆ではあるが。
 「ともかく」
 大丈夫の姜二の脇に、矮躯の男がいた。姜三である。
 「一兄、こうなっては、やるしかないやね」
 「これは、手強い」
 姜一が姜三に言う。
 「なに、たかが殷の飲んだくれども。私がこてんぱんにやっつけてやるわ」
 姜斎が凛として言う。

 注記:殷は酒乱がすぎて滅んだとされることがある(『書』、『左伝』)。確かに、現在出土する祭器には、酒器と思われるものが多い。

 「よし、斎、三、行って防げ」
 と姜一が言えば、姜斎、姜三、走って望楼を駆け下りる。
 さて姜族の次なる術はいかなるものか。好と殷軍はそれを防ぐことができるのか。


 第二回 婦好貞して姜礼を知るのこと
     姜斎嵜猿を招いて婦好を悩ますのこと

 さて一方の殷軍は山西の山々をようやく越えて崋山のふもとにいたり、野営した。
 ここで好は占った。亀は、甲羅の大きさ30センチほどの大亀で、まず酒で洗う。首を落として、甲羅の側面から刃を入れて裂き、腹甲を磨いて平らにする。
 犬を四匹屠って、四方に埋める。犬は嗅覚に優れるため、四方の番をなす。地に穴を掘って簡単な竈をつくり、火をおこす。雌羊を四頭、祖神にささげる。

 注記:貞神がなんであるかと言えば、祖神である。一族の祖は、一族の行く末を知っている。だから血を繋げた。ゆえにこれに問う。

 好は腹甲をあぶって油を抜く。そうしてから、中心に刀で字を刻む。
 「姜、これいかに」
 それだけ刻んだ。

 注記:様式的には、甲羅の両側に穴を掘り、そこから生ずる亀裂によって兆を見る。刻辞は卜した後に行うという。甲の右側に肯定文、左側に否定文を書く。占いの結果を書く形式もある。

 楽人が簫(ショウ。縦笛)を吹く。好は酒を痛飲すると、甲羅を竈にくべる。拝跪する。やがて水を打つ。音を立てて亀裂が入る。甲羅を取り出し、兆を凝視する。

 注記:そもそもなぜ占うのか----祭祀、呪術全般に及んでは事であるので、ここでは占卜について、それも「実用」の場合のみ述べる----政治的な意味合いにおける占卜について記述するのは退屈である。神意を聴く王が尊敬されるのは自明である----好がここで卜問するのは、己の洞察力を高める目的がある。つまり利をえるために実用する----政治的な占卜の実用性など、小さいものではないか? それは祭祀が有効かをまた祭祀によって占う不思議な構造である----おしなべて祭祀は装置である。舞うには音楽がなくては舞えぬ。占うのには竈と兆がいる。ここで好の行う手順をたどれば、まず大気に満ちる祖神をイメージする、思考を、空中に飛ばす。井城のうち、姜族のもとへ行き、その地と人を見る。想像するのである。瞑想である。想像力も、精微を極めれば、真実をつかむ。より実際的には、姜人の吐いた吐息が、その窒素の分子のひとつが、風に乗って好の肌に触れる。好はその角度、速度、温度、他の分子とのつながり方から、経路をたどればいい。この業をなすために、火、犠牲、番犬、甲羅と亀裂、字、祖神を使う。音楽を用いる。これらは集中力を得、霊感を見るための道具にすぎず、占卜が真実となるかどうかは、貞人の感受性によるのである。実用の占卜の構造とは、おしなべてこのようなものである。

 星のような好の眼光が、亀甲にそそがれる。亀甲を手に立ち上がり、ゆったりと歩を踏む。動く、舞うこともまた集中力を高めるのに有益であることがある。簫の音が辺りを清め、好に崋山の気を呼び込む。そのさま、まさに、

  婦好貞す 姜の礼
  簫音粛々 貞人の舞ぼくぼくたり
  崋山に飛んで井城を見下ろし
  姜礼常になきを知る

 といったところ。一心に兆を探って竈の周囲を巡っていた好、はたと立ち止まる。口を開ける。眼光はすでに尋常にない。思考ははるかかなたにあって、好はいま祖神を入れている。
 「一は気を放ち宙に舞うなり。二は武なり。三は遁甲なり。斎は媚なり。その祖神、渾敦なり。夷を祭りその風に守られる。天分を知りこれを守って強固なり。これ禁なり」
 姜族にさわってはならない、と祖神は降した。好は判じた。
  <われの力も及ばぬというか!>
 正気にある側の好が反発する。退くにしかず、との結果が出たのである。すると、好はまた口を開く。
 「いま西から三と斎来る。防ぐべし」
 はっと我に帰る。
 「虎甲はどこじゃ!」
 小物が走って虎甲を呼ぶ。好がいる本陣に駆け込む。
 「娘娘、どうした」
 「姜が来る。防ぐのじゃ。そのほう、一隊を率いて斥候せよ。西である」
 「ふん、また手出ししてきやがったか」
 「気をつけよ。遁甲と媚を使う」
 「なに、姜なんぞ田舎の少族、俺たちに何ができるってんだ」
 聞いて好、きっと虎甲を睨み、
 「侮るな! 姜の礼はわれらと違う。ゆえに油断ならぬ。彼らは礼と武、遁甲を用いて固い。かの者、渾敦の末なり」

 注記:渾敦は得体の知れない神である。渾は濁流の意である。敦は『説文解字』に「怒るなり、そしるなり。誰何するなり」とあって、二字を合わせた字義は不吉である。また敦は器蓋同形の球形の礼器で、分ければすなわち半球形の二器となる。
 『左伝』文十八年に舜が四凶を四裔(四方の果て)に追放する説話があり、饕餮、窮奇、檮ゴツとともに凶の一として帝鴻氏の不才子、渾敦を上げる。その性質は「好んで凶徳を行い、醜類悪物、頑ギン不友、是れともに比周す」とあり、凶悪で捻じ曲がった人間の頭領のように書かれる。ギンは祝詞を入れる器である口を四つ並べ、臣を入れる。天に向かって祈ることで、口やかましく争う意。巫祝をあざける語である。
 また『山海経』の西山経に天山の神として渾敦があり、「黄色い袋のごとく、赤いことは丹(辰砂cinnabar)のよう、六足四翼、渾敦として面も目もないが、歌舞に精通する。まことこれぞ帝江なり」という。天帝の子とされる。

 渾敦と聞いては、虎甲も驚かざるを得ない。饕餮と同様、その音がすでに禁忌の音を奏でる。
 「渾敦...姜の祖が、渾敦だっていうのか」
 「しかり。ゆえに、油断するなと言う」
 「諾!」
 虎甲は好を拝して走る。

 そのころ姜斎と姜三は姜の精鋭百人あまりを率いて林中にあった。姜三がひとりで殷の陣を偵察しにいく。ちょうど、虎甲が斥候隊を出すところであった。矮躯の姜三は木立に身を隠し、殷の陣を探る。
 <意気盛んにして粛々なり>
 と殷軍の気を読んだ。
 <あれが本陣...媚か。斎姉の上を行く媚が中夏にいるとは思えぬが>
 本陣を伺う。ちょうど、天冠をいただき、白金の鎧も勇ましい、だが星のごとく麗しい長身の婦人が、天幕を凪ぐように払ってあらわれた。
 <お、いい女だ。あれか>
 50メートルほど離れている。だが姜三の視力は厳しい鍛錬と集中によって、好を正確に捉えている。
 <ふん...いい女だが、好かねえ。強すぎる>
 姜三は、好の媚力を看破した。恐るべき敵であると見た。
 姜三がなおも殷軍の軍兵の数、装備の質など伺っていると、辺りをきょろきょろ見回していた女将軍が、姜三の方を見据え、ぎらぎらと輝く眼光をそそいできた。指す。
 「虎甲、待て! そこだ!」
 大声で呼ばわる。姜三は眼を見開いて驚いた。己の遁甲術が見破られるなど信じられなかった。しかもこの距離である。

 注記:遁甲の本質は人をだますことである。そうではあるが、隠遁の術の場合、隠れる本人が、隠れていることを意識しているようではまだ達人とはいえない。「擬態する」動物や虫を語るとき、「隠れている」と言うのは誤りで、彼らは、そういう意識はすでにない。人間における隠遁術は、仮死の法と言える。人間に特有の生気を殺し、呼吸を調整し、無機物となる。

 姜三の仮死の法は、達人のそれであるはずであった。矮躯であることの身体的特質は、もちろん利用する。しかしそれ以上に、呼吸、熱の調整に、姜三は絶対の自信があった。それが破られた。好があらわれたことによって、興をそそられ、その隠蔽の気がそがれたか。相手を見れば、発見されやすい。街角で、目の端に視線があれば、だれもが振り向く。
 「ともかく」
 だが姜三はあらかじめ退路を用意してある。
 「逃げるにしかず」
 その場に一瞬にして細工を施し西に飛ぶ。

 斥候に赴くところであった虎甲は、好の大声を聞き、西の林を見る。気を見る。何も見えない。だが虎甲は好の巫才を敬っている。そこに姜の手の者がいることを疑わない。
 「者ども、行くぞ」
 兵を喝すと矛をとり駆ける。
 兵がおこって虎甲につづく。姜三がいた木立にいたる。突然どっと土が盛り上がったかと思うと、ギーギーと怪音辺りに響き渡り、一騎の兵があらわれて矛を振り回した。衆人が仰天したことには、馬も人も骸骨であった。カカカ、と奇怪に笑う。
 「鬼兵」
 虎甲はさすがに驚いて一瞬立ち止まったが、矛を舞わしてこの骸骨に挑みかかる。
 「鬼、虎甲が相手だ、勝負しろ」
 骸骨は口をくわっと開いて怒り、虎甲と矛を合わせる。十合戦ったが、虎甲の怪力は常にない。鬼兵は矛を折られてガシャリと馬から転げ落ちた。この殷第一の豪傑にかかられては鬼兵もたまらない。ギャー! と叫んで地を這う。虎甲は鬼兵を馬もろとも踏みつぶした。すっと、骨の屑が消えていき、一本の馬の肋骨を残した。姜三がすばやく刻んだ字があった。
 「姜兵なり」

 注記:神だ鬼だ呪術だと書いてきた。こういった事象が、ここに書かれたように、実際にあるとは、簡単には言えない。同様に、ありえないとも、簡単には言えない。芸術というものは、文学に限らず、おしなべて翻訳である。ある事物、現象を変換する。その具合を楽しむ。このあらわれを霊感とか、神とかいう。だから、ここに描かれる魑魅鬼神の世界もまた、何かの現象----精神的な現象を言うし、それは物理的な事象にもとづくが----を言い換えているものだというふうに、思っていただきたい。

 姜三にとっては、あの骸骨騎兵は、小細工という言葉で説明できた。
 <小細工ではあるが、簡単に払ってくれるもんだ>
 背後を振り向く。草木をかいくぐり、凪ぐ。姜三は矮躯ではあるが、独特の走法をもって山野を駆けるのに長けている。駆ける。それでも追ってくる。殷兵、なかなかのものである。このまま姜斎のいる林中へ行っては事である。
 <禁ずるか>
 立ち止まる。竹符に朱で犬を書く。一枚書いて、藪に投ずる。西に駆け、また一枚書く。こうして四方に符犬を配する。虎甲たちがこの禁じられた立方地にいたるまでに、なんとか禁じえた。
 <まずはこれでよし>
 姜三は走った。

 虎甲は姜の尖兵がひとりの小男、それも覡であることを見抜いていた。前方、藪に何か投じて、走り去るところまで見えていた。
 <なにかやりやがった>
 それなりに用心する。だが立ち止まっては相手の思う壺だ。突進する。虎甲が地のある境に踏み込んだとたんである。四方に四匹の巨犬沸き起こって、虎甲と殷兵を囲んで逡巡し、ぐるぐるとうなる。眼は炎のようで、毛は逆立ち、いかさま常の犬にない。
 「虎甲どの、これは...」
 殷兵のひとりが問う。
 「畜生、禁じられた」
 虎甲が苦々しい顔をして、矛をかまえる。
 「切り抜ける。一頭倒せばそれで済む。俺が西を倒す。そのほうら、三方を防げ」
 虎甲、全身に気をめぐらして、矛を舞わして西の巨犬に襲いかかる。犬は飛んで虎甲の背後を狙う。虎甲、足を使って横に跳びそれを防ぐ。矛を振る。犬が退く。
 ここで虎甲は愚かであるといえよう。好がこの場にいたなら、さっさと姜三の書いた竹符を拾って、割るなり、犬の字を削って消すなりしたであろう。虎甲はこの犬を禁術によってあらわれた鬼犬だと見抜いたにもかかわらず、荒ぶることしかできない。彼の武の性分である。

 姜三は逃げ切った。虎甲が苦闘して鬼犬を倒すころには、姜斎のいる林中へ戻っていた。姜斎たずねて、
 「どうだった?」
 姜三は眉をしかめる。己の遁甲が見破られた、とは言いたくない。失態であった。
 「けっこうな媚が率いてる。鬼を払う豪傑もいる。まあ、弱い敵じゃあねえな」
 そう言うに留めた。
 「よし、しかけるわよ」
 「斎姉、油断はならぬ」
 「黙りなさい」
 姜斎はそう言うと姜兵を率いて林野を進んだ。姜斎は早く殷の媚女を見てみたくて仕方がなかった。見て、その上で、術の限りをつくして戦いたかった。

 さて好は殷兵を率いて虎甲を追った。姜三が方犬によって禁じた林にいたる。そのころ、ようやく虎甲は鬼犬を倒して呪禁を解いていた。結果的には、虎甲の矛が、ようやく西に投じられた竹巫を叩いて割ったのである。
 好はすぐにそれとわかった。
 「虎甲! そのほう、なにを遊んでおるか!」
 怒鳴りつける。虎甲振り向いて、
 「おお娘娘、いま鬼犬を倒したんだ、なかなか手強かった」
 好は情けなくなった。いらいらした。
 「ええい、いまはそのほうの愚を叱っても仕方がない。進むぞ」
 殷兵は行軍した。

 そうして姜と殷の軍勢は林中に遭遇した。先に殷軍を察知したのは地の理を知る姜側であった。
 「殷兵、すぐ先にある」
 姜斎は殷軍の気を見た。
 「ほとんど全軍だ。勝ち目はないぞ」
 姜三は地から足音を聴いた。
 「わかっている」
 姜斎は言うと、辺りをゆっくりと見回す。林は、急な斜面にさしかかっている。こここそ崋山のふもとである。霧が遠く山野のふもとに広がっている。
 「ここは、すでに華山ね」
 姜三に問う。
 「華山だ」
 姜三も山野を見回す。山の霊気が満ちている。
 「嵜(キ)を招くのか。だが餐がないぞ」

 注記:キは人面猿身の岳神である。岳神のうちでも、別格の力を持つ。舞楽に通じ、祭るには舞いをもってする。本来「龍のごとくにして一足」(『説文解字』)であるという。いま仮に嵜と当てる。この小説では、インドの白猿ハヌマットに比して描くことにする。ハヌマットは怪力は山を抜くという神猿で、『ラーマーヤナ』においてラーマを助け、無敵の魔王ラーヴァナと勇敢に戦う。

 羊、犬の類は連れてきていない。姜斎これに、
 「猿は血を好まず。菜と舞を受ける」
 と答え、懐から小さな麻袋を取り出す。中には小豆が入っていた。
 姜斎は自ら山菜をつんだ。小豆と山菜を銅器に入れる。牛身有翼の渾敦をかたどった祭器である。竹符に朱を入れる。いわく、
 「姜の婦斎、嵜を祭る。受けられたし」
 急場であるゆえ、簡潔に書かざるをえない。本来、一族の来歴やら、その生存の本義やらを書く。竹巫を器に入れると、麻の芽を乾かしたものを炊いて煙を立てる。青い香気が森にみなぎる。諸人はこれを吸う。器に拝跪する。

 注記:殷代に麻が中夏にあったかどうか知れない。だがここでは酒を用いる殷、麻を用いる姜、とその礼の特質を分けるのに便利であるので、こうする。

 「姜三、鼓を打って」
 「諾」
 姜三が銅鼓を打って、姜斎が舞う。

 銅鼓の音をいちばんに聞きつけたのは好である。
 <生意気に、祭祀をなすか>
 殷軍は山間の小道に出ていた。好は鼓の音の方角を見定めると、軍を林中に向けた。躊躇するところはない。
 「姜はそこに潜んでおる。みなの者、行って踏み散らせ!」
 と号令する。
 殷軍が林中に分け入ると、さても前方に一群の兵団あって、その手前には、ひとりの女が舞っているようである。諸人見れば、朱色の戎衣もあでやかに、蝶のごとく舞う姿は華麗なことこの上はなく、殷兵は見惚れんばかりであった。
 すると虎甲が馬に乗ってあらわれ、
 「なにをしているか。戦え」
 と呼ばわると、そのまま殷兵たちを追い越して、ひとり突進していった。戦車に乗って見ていた好、
 「おお、虎甲、よき胆力なり」
 と少しは感心した。殷兵、はっとして虎甲に続く。
 ところが、突如土中からもくもくと白い霧がおこって、人の形に作られたかと思うと、キャー! っと怪声が轟き、白い鎧をまとって矛を振りかざす巨大な猿が、殷軍の前に立ちふさがると、銅鼓の音に合わせてどすんどすんと地をゆらしながら舞い始めた。
 白く輝く怪猿、身の丈五メートルはあろうか。巨大な三つ又戟を腋にしめると、きっと殷軍をにらみつける。頭に牛のごとき角があり、憤怒の人面で、その異形と威風は、殷軍を震え上がらせるのに充分すぎた。
 「神猿...」
 さしもの虎甲も、肝をつぶした。戦いを挑もうという勇気は沸いてこない。神は、すなわち禁忌である。人間がさわってはいけない力である。姜三がさきほど用いた呪詛の鬼は、神ではない。すなわち幻である。鬼である。人間の中にある。しかし神は、人間の世界の外にあって、触れることはできない。
 虎甲は好の戦車を振り向く。目が合う。好の目は、虎甲の臆病を責めるものではなかった。ただ、憤怒していた。
 <なぜ神々はこうも姜に味方するか!>
 とである。そして巨大な怪猿を見上げる。
 「嵜か」
 声にする。背筋がぞくりとする。前方の、嵜の向こう、舞っている巫を見据える。姜斎である。姜斎もまた、戦車の上の好を見とめた。互いに眼力を使って相手を見る。

 注記:眉、媚字はすなわち見るの意である。

 <殷媚、嵜を払えるか>
 姜斎が眼で問う。好はますます憤怒する。拳を固く握り締める。
 「おのれ! 姜媚、こしゃくな!」
 好は戦車から宙を飛んで降り立つ。好とて人の子である。この神猿が心底恐ろしい。だが、ただ拝跪して死を待つような女ではない。おのれの力の限りをつくす。それが好の礼である。生き方である。
 さて好は嵜にいかにして立ち向かうのか。姜斎と好の媚術勝負の行方はいかに。


 第三回 嵜猿祭祀を受けるのこと
     姜一房中に秘儀をなし口器を鋳るのこと

 さても好は饕餮文画の矛を手にして嵜の前に仁王立ちする。これに虎甲、
 「娘娘、無茶だ、ここは逃げよう!」
 と言うも、嵜の威に吹かれて身動きがままならない。
 「あの戟を見ろ!」
 好、嵜のいただく巨戟を見上げる。その長さ八メートルはあろうか。
 「あの四肢、眼光!」
 好は嵜の面を見上げる。こちらを睨んでいる。憤怒の相である。雪のような毛をまとっているから、炎のような面が、より恐ろしい。
 <愚か者! 脅してどうする! 少しは勇気づけぬか!>
 好は逃げるわけにはいかぬのだ。嵜からではない。あの姜媚からである。
 「黙れ虎甲! 騒がしい! 神の面前で無礼である!」
 怒鳴ると、好は拝跪した。ガオー! っと嵜が猛然と吼える。その威風は、人に禁忌を知らせる。逃走の衝動を抱かせる。しかし好は祈る。
 好、立ち上がって両手を合わせ、
 「殷の婦好が嵜に辞します。いまわれ、矛と体術をもってあなたさまをお祭りいたしとうございます。これ可か、否か」
 と問う。すると嵜、カラカラと怪音をたてて笑い、
 ----その意気やよし。好、かかってくるがよい。
 と好の心のうちに答える。これに好、意を決し、勇気を奮って嵜に矛を向け、嵜の足元に走りこむ。嵜、ひとうなりして戟をひねり、好を払わんとする。好、脱兎のごとく横に走ってこれをくぐったが、嵜の戟はその一振りで突風を巻き起こし、好と殷の軍勢を吹き飛ばしてしまった。
 「娘娘!」
 と虎甲が危ぶむも、好、身を転がしてすばやく立ち上がり、また矛をしごいて突きかかっていく。嵜は戟を振り下ろす。好、電光のごとくに身をひるがえし、くぐって宙に飛ぶ。矛をひねって嵜の腹を突きにかかる。だが嵜は左手で蝿を払うかのように好を叩いて落としてしまった。地に叩きつけられた好がうめく間もなく、嵜は戟を横ざまにないで斬りつける。好、もんどりうって立ち上がり、死力を奮ってこの一撃を矛で受けるも、到底踏ん張ることができず弾き飛ばされた。
 嵜は大いに笑って、カラコロと怪音を口から発した。すると虎甲、
 「見ちゃおれん」
 とこのさまに大いに怒り、勇気を奮いおこして駆けいだし、、
 「やい嵜神! 神とはいえ人の女に大人気ない! この虎甲が相手だ!」
 と怒鳴ると矛を舞わし虎眼を怒らし突きかかる。嵜、好に問うて、
 ----こやつは何者だ。
 好、虎甲を振り向き、心のうち大いに喜んで、
 「これはわが弟なり」
 と言うと、立ち上がってまた矛をとりなおす。足をめぐらし虎甲と息を合わせて嵜と戦う。

 このさまに驚いたのは一方の姜の諸人である。嵜を祭ることを主宰する姜斎は、完全な所作を連続させて、嵜をよく祭っていたのだが、これには仰天せんばかりに驚いた。
 <嵜と戦うか>
 それも堂々と、正面から、たんに体術をもってしてである。無謀、愚を通り越して、これは誠である。ここでは贄は好と虎甲の勇気、武術、そうして命である。これは嵜を祭るに正当な礼であろう。
 <殷媚、勇ましや。これが汝の礼か>
 と感心すらした。だが、おのれの身、技量を贄となすのは、姜斎とて同じである。優れた巫祝は、みな同じである。
 <ではわれの舞と汝の武、嵜はどちらを受けるか>
 そう念じて、挙動に没頭していく。舞人は暇ではない。ひどく忙しいものである。辺りの空気をとりこみ、味わい、血管に通す。音による振動を、全身にめぐらす。その具合をよく見て、その流れに従う。波に乗る。世界と一体となるのである。命の限りを尽くさねば、そう舞うことならぬ。考え事をしている暇はない。

 注記:巫祝の業とは見聞きする技術であって、行う技術の領域は少ない。受け、入れるのが本義である。聞字のもとになった字は大きな耳を持つ人が口を開けている形で、すなわち神意を問い聞く巫祝の象である。舞踏において舞い手が行うべきは、動くことではなくて、音を聴くことである。挙動は、音から自然にやってくる。舞踏の本義は即興にあって、その場その場の世界を見てその波に乗る術である。ゆえにあらかじめ所作を創作された現代のバレエなどは、その本義には外れている。

 好と虎甲は果敢に戦ったが、嵜に一指も触れることができないでいた。嵜の周りを飛んで逡巡し、ただその攻撃をかいくぐるので精一杯であった。
 「娘娘! こりゃ、だめだ!」
 虎甲が嵜の戟をかわしながら叫ぶ。好と背中を合わせる。ふたりとも肩で大きく息をする。
 「勝てるはずがなかろう、相手は神じゃ」
 「じゃあ、なんで戦ってるんだよ!」
 「わからぬか、祭祀じゃ」
 「嵜を祭ってどうする」
 「うるさい、よいか、気を抜いては嵜に無礼じゃ。それを心せよ」
 好が言い放った刹那、嵜の戟が飛んでくる。ふたりは飛びのく。
 <嵜神、わが祭祀、受けよ。問う。姜媚の礼とわが礼、いずれが優れるか、好ましいか> 心の内に問う。矛をひねってなおも勇気を奮い、嵜に見せつける。
 すると嵜、カンラコロコロと大いに笑って、その怪力を奮って戟を旋回させ、猛風を巻き起こして、好と虎甲のみならず、殷兵、姜兵の陣営をも、ひとなぎに吹き飛ばして、諸人を地に投じてしまった。
 そうして、姜斎と好のそれぞれに、心のうちに語りかけるに、
 ----決死の者に差などない。決死とは、そういうことである。
 とて、またカラカラと大笑いし、
 ----姜斎、好とその弟よ、おのおのよくわれを祭った。褒めてやろう。われは満足じゃ。楽しかったぞ。双方の願いをわれは成就させよう。姜は退け。これは殷の祈願せしことである。殷は待て。これは姜の祈願である。相違ないな。
 姜斎、嵜に言われてみると、そうである。殷をここで退けられないとなれば、時を稼いでよしとして、退くほかない。好のほうでも、そうである。嵜に譲ってもらえれば、それでよい。
 <諾>
 と好も姜斎も心のうち答え、姜軍は粛々と退き、殷軍はそれを見送った。

 さて姜斎は井城へ急いで戻ると、姜一に事の次第を告げた。姜一は大いに驚いて、
 「夷風を退け嵜を魅了するか。殷媚、底知れぬ...だが」
 と言って、姜斎を見つめる。
 「斎、姜は負けられん」
 と言う。これも呪術の一であるか。自己暗示の類か。呪術とは本質的にそういうものである。
 「負けてなるものですか」
 姜斎が答える。

 注記:この物語で殷と姜では礼が異なる。礼とは、簡単には習俗、民俗と言い換えることができよう。だがとくに呪術の様式が異なることを、ここでは強調する。殷では祭祀のさい酒を用いて酩酊し、多くの羊、牛などを屠って緊張を得、巫祝、また儀礼に参加する諸人を興奮させ、ひとつのある「場」へいたらしめる。人牲もたびたび用いる。異族の者を殺すことおびただしい。姜族にとっては、殷のこうした礼は、野蛮であり、愚かに映る。ことに、人をもって、異民族をもって贄となすのが許しがたい。姜の礼においても、犠牲を用いるのは同様である。しかし、殷のように、大祭だからと牛を二十頭、羊を三十頭、異族を十二人、などと屠ることはしない。死人のために壮大な墳墓を掘り大量の祭器、呪具、犠牲を埋めるなど、現世の人間にとって、いったいどれほどの政治的、および呪的な効力があるというのか。犠牲は一頭の羊でよい。神を招き、人がそれを感ずるには、それで充分なのである。もしくは、方犬、四方に配する四匹の犬である。また姜にとって、酒は禁忌である。思考を惑わし、集中を妨げ、視界を覆う。人を獣に落とす。堕落させる。麻は違う。人に神を見せる。神の性質を見ることができる。また姜にとって人を殺すのは、呪術的な必然性がない。殷のそれは、人の欲望を成就させるためのもので、神への供物ではない。神は人間の諸族など分け隔てないし、同じ人を食料となす人身供犠を、好ましく思わないであろう。この戦争で姜が敗れれば、何百人もの姜人が、殷に連れ去られ、墓を掘らされ、埋められる。姜一は姜族を統べる王である。みなを守るのがその役割である。殷の悪礼に従うわけにはいかないのである。

 だから姜一は、姜斎を見つめて、凛として言うのである。
 「いまや姜の危機だ。秘儀をなす」
 「兄上、なしますか」
 姜斎が微笑する。姜斎には、こうなるであろうことが予見できていたのである。

 姜王の房中には代々炉がある。暖をとるものではなくて、祖神を祭っているのである。つまり渾敦がそこにおわす。いまそこに炎がある。
 姜一はひとつの丸い岩石を手に持っている。姜斎は床に寝転んでいる。
 「斎、鉄卵である」
 「それが鉄卵? きれい」
 仰向けに寝転んだまま姜斎が答えた。姜斎も、それを見るのははじめてであった。

 注記:鉄は殷代にはまだ知られていなかったようである。ただ古代には人はしばしば隕石から鉄を得て、石器となし、また呪具とした。空から降る隕石は人に天が石、金属でできていることを連想させたり、また天が生んだ卵を思わせた(ギリシャで豊穣多産のキュベレイの卵とされた例など)。ここで姜一が持つ岩石は、いわゆる鉄鉱石ではなくて、隕石である。

 その隕石は長く姜族に伝えられた、渾敦の卵であった。ここには渾敦の力が宿っている。この石を鋳れば、すなわち渾敦が現出するのである。渾敦を出産することこそ、姜族の最大の秘儀である。渾敦の力は遥かに人智を超える。その濁流を扱い、使役するなど、人にはできない。渾敦を誕生させてそれが姜に幸いするか、災いするか、誰にもわからないし、統御できない。ゆえに一族の存亡の危機においてのみ許される秘儀中の秘儀なのである。
 「でも、渾敦を産んで、いったい、姜が勝てますかしら?」
 「さてそれだ」
 姜一には考えがあった。ひとつの鋳型をもってくる。あらかじめ、殷の進軍を聞いたときから用意しておいた。
 「見よ」
 「口(サイ)?」
 姜斎が半身を起こして鋳型を見る。正六角形の、サイコロ状の土器である。上部に鋳込む穴を開けてある。鋳型の内側には祝詞が刻まれている。四面にそれぞれ方角神を祭り、上面に天、下面に地を祭る。上面にまた渾敦に長く辞する。いわく、
 「姜一が祖、渾敦に辞す。願わくはいま口の中にあって井を囲い姜を守られたし。思えば人が神より生じて以来争っては死にその愚は改まることがなかった。いまもまた殷はわれらを攻め姜人を殺さんとする。一、これを防ぎもって人の道を明らかにせんと欲す」
 とである。本来、器は祝詞や供物を入れる入れ物であって、閉じていてはそれらが入らない。だがこの口器は天を封じ、渾敦を封ずる。閉じていなくてはならない。
 「兄上、天を封じますか。畏れ多いことです」
 立方にひとつの宇宙をつくり、その中に渾敦を封じたまま産む。六面で囲うのは、そのまま井城を囲って守る意味がある。城塞を渾敦の気、姜族の血で満たす意味がある。つまり守城の呪禁である。
 「だがこれ以外に法があるか」
 「われらにそれがなせますか」
 「なさねばすなわち滅びる」
 「そうですわね」
 言うと、姜斎は衣を脱いで裸になる。姜一も自分で脱ぐ。ふたりはまぐわう。まぐわって、炉に乾燥した馬糞を投ずる。よく乾かした馬糞は火力に富み、石を鋳るのにもっとも向く。鉄卵を炉にくべる。またまぐわう。姜一は姜斎の腹中に射精せずに、鉄卵に精をそそぐ。赤く焼けた鉄卵にそれがかかると、一瞬に煙と化す。姜王の精が祖である渾敦を子宮である炉に宿す。姜一と姜斎は激しく交わっては、渾敦を炉中にはらませる。

 注記:鍛冶と呪術は深く結びついていて、それは鍛冶はもと呪具、祭器を鋳るためにあるからによる。また鍛冶は性的な儀礼に自然に結びつく。合金は金属の結婚で、例えば鉄は男、銅は女、というように。鍛冶師が炉を子宮になぞられるのも、彼らの経験上、自然なことであったろう。鍛冶と性的な儀礼はこうして不可分となり、鍛冶の現場で性的な禁忌が生まれる一方で(アフリカのバキタラ族など。鍛冶師の精液は女に射してはならない。儀礼的に炉に射すものである)、鍛冶師は女と交合してその精力を供物とする礼もあったようである。いまこの小説で姜一と姜斎が実の兄妹であるのは、近親相姦が子宮への回帰、また祖神への回帰という呪術的な様式に符合するからである。古代の中夏においても近親婚は禁忌であるが、事例はある。
 房中術やインドのカジュラーホ寺院にあきらかなタントリズムのごとき性儀礼が鍛冶の礼と深くつながっていることを示唆するには、もっと多くの事例を引けばより鮮明になるが、ここではあとひとつ上げるだけにとどめる。いわゆる錬金術において、ホムンクルスがある。精液をレトルトの中に四十日間密閉すると人間の形をした透明な非物質のものが生ずる。これを人間の血でさらに四十日間飼養すると、小人となる(パラケルスス『ものの本性について』)。これはすなわち冶金術の呪術的な構造を端的に語るのである。

 姜一と姜斎は大いにむつみあい、鉄卵は溶け、鋳型に鋳込まれた。一日たって姜一が祭卓に載せ、土を割ると、口器はくっきりと祝詞を刻み、すすけて黒く光っていた。それはこの鉄の立方に広がって、完全に世界を内包していたのだった。姜兄弟がそろってそのさまを見るに、口器は怪異な気を発し、辺りの空間を歪めて、さながら蜃気楼のようにゆらゆらと、また沸き立つ金属のようにぐらぐらと、周囲の様相を捻じ曲げて、溶かし、流動させていた。
 さてこうして鋳られた口器の中の渾敦は姜族を守るのか。好と殷軍はこの強力無比の呪禁を破ることができるのか。


 第四回 姜二虎甲と大いに戦うのこと
     婦好矛を投じて饕餮を招くのこと

 さて井は小さな城塞である。姜人二千に満たない。正方形の城壁の一辺は五百メートルほどであり、また土を固めた城壁は堅固とは言いがたい。よって、呪禁する。禁じて固める。まず方犬である。城壁の外、四方に犬を屠って埋めた。方犬の禁は姜三がなした。姜三は犬を使う呪禁を得手とする。

 注記:囲字はそのまま城塞を固めて守る意である。ゆえに、姜の城を井とした。井はもと韋であり、なめし皮の形であるが、もう一義あって(もと別の字形)、城である囗に往来する足を上下に加える。城壁を守るために駆ける意。
 また方字は架屍の象で、人牲をもって四方を禁ずることを言う。方犬というのは作者の造語である。

 姜斎は蛙を焼いて崋山から化蛇(カダ)の群れを招き城壁に潜めた。化蛇は翼蛇で水を吐く。これにて火を禁ずることができる。姜一はまた挙猿(キョエン)の軍勢を招いた。この猿は長い腕でよくものを投げる。

 殷軍は嵜に止められていたが、この神が一陣の風とともに消えうせると強行し、わずかに一日で井城へいたった。一夜明け、こうして決戦の日となった。
 さて早朝、好が井城の気をうかがうに、粛々として一分の隙も見えない。四方に鬼犬あってその鼻は姜人に殷軍の動静を知らしめ、雄たけびは殷人の勇気をそぐ。そうしてそれよりも、井城全体から発せられる奇怪な、強烈な気をこそ、好は怪しんでいた。
 「虎甲、見えぬか。この怪気はなんじゃ」
 虎甲に言う。虎甲も井城を眺めるに、その赤い気は尋常にない。
 「また姜の野蛮な礼術か。しかし、こりゃあ常にない。娘娘、こりゃどこの神だ?」
 「わからぬ。こんな気は知らぬ。胸が悪くなってくる。今度はなにを招いたのか」
 好は危ぶむ。その気配は好に危険を知らせる。すなわち禁忌である。しかし好は退くことをしらない。
 「虎甲、ひとあたりしてみよ」
 「ようし、娘娘、まあ見ていてくれ」
 虎甲言うと一隊を率い、夷の西風を畏れて西の城門へ回り込み、梯子、突車(丸太を尖らせたものをとりつけた車。城壁、門を破壊する)などを駆使して壁面を攻撃する。

 「来たな!」
 姜二は西門を守っていた。殷兵は梯子をかけて猛然と駆け上がってくる。充分に引きつけて、姜二が簫を吹くと、姜兵どっとおこって丸太、石、弩弓の矢を降りそそぐ。また挙猿の一隊空中よりわきおこって身をひねらせて石を飛ばす。殷兵たまらず壁面から剥ぎ落とされていく。戦車の高みからこれを見た好、大いに怒って、
 「おのれ挙猿を招くか! それ火であの猿を焼いてしまえ!」
 とて弩弓隊を繰り出してさんざんに火矢を射かける。すると壁面から翼の生えた蛇が身をくねらせながら飛びいだし、どうどうと水を吐いて火矢を甲斐なくしてしまった。好、大いに憤怒して今度は巨大な投石器の一隊を繰り出し、大きな岩石を次々に浴びせる。ところが石は姜兵のいる壁上のあたりへ到達するまえに、粉々にくだけて弾き返されてしまう。これはどうしたことかと好が怪しむと、殷兵がひるんだこの隙を逃さずに、姜二城門を開いて精鋭とともに猛然と繰り出し、馬をめぐらし矛を舞わして殷兵を大いに蹴散らした。その暴れ狂うさまはまさに応龍のごとく、殷兵逃げ惑って収集がつかない。
 「だれかあの豪傑をとめよ! だれか勇気のあるものはいないのか!」
 と好が怒ると、これに虎甲気をめぐらし髪を逆立て馬を駆け出だして、
 「待て豪傑、殷の虎甲がここにある。勝負しろ」
 と矛をしごいて打ちかかる。姜二怒髪天を突いて、
 「俺と勝負しようとはいい度胸だ、相手になろう」
 と言うと虎甲と矛を交える。姜二と虎甲、矛を舞わして大いに戦うこと五十余合、馬をめぐらし死力を尽くして激しく争うも勝負がつかない。このさまに両軍の諸人、どっとわいて両将を囲みこの勝負の行く末いかにと息を呑むばかり。
 姜二、怪力を振るって矛をひねり虎甲の面を突く。虎甲のけぞってかわし馬を飛ばして姜二の背後をうかがい矛をひねる。姜二これを受けて虎甲と力比べに持ち込むが互いの怪力常になくまたその強力たること差がない。離れてまた矛を舞わして打ち合う。ふたりの豪傑火花を散らして百合戦うもまったく勝負の行方がわからない。このさまを見た姜一、弟にもしものことがあってはと危ぶみ、みずから天冠をいただき、龍文の赤い鎧を着て、矛を腋に、赤毛の馬に乗って駆け出だし、大いに怒って、
 「そこの豪傑、わが弟に手をだすな。姜の王、一が加勢するぞ」
 と怒鳴りつけると、虎甲に矛を突きつけていく。これに好が激怒し、
 「卑怯じゃ! 姜王、礼を知れ!」
 と怒鳴ると、白馬に飛び乗り饕餮文画の矛を手に風のごとくに駆け、
 「姜王、婦好が相手じゃ! わが弟に手を出すな」
 と怒鳴って矛を飛ばす。姜二と姜一、虎甲と好は息を合わせて互い違いに、さまざまに馬をめぐらし大いに戦ったが、一向に勝負がつかない。姜一、好に向かって、
 「殷媚、聞け。姜は降らぬ。井は落ちぬ。退くがいい」
 と言えば、好は怒って矛を姜一に突き、
 「われに指図するか! おのれがどんな神を招こうとも、われは負けはせぬ」
 と答えて言う。姜一矛をかいくぐって、
 「われらの城中に渾敦がおわすとしてもか」
 「なんと!」
 好、大いに驚いて、
 「渾敦が井におわすと言うか!」
 「退け、姜は殷礼に従わぬ」
 とこんな問答をかわしながら、四人は戦ったのだった。
 そのころ城中の姜斎、兄と弟を危ぶんで、
 「それものども繰り出せ! 王と姜二を救え!」
 と号令し姜兵を繰り出す。殷軍もこれに応じて総兵を繰り出し、乱戦は夕刻に及んだが、数に劣る姜軍は頃合を見て潮の引くように城中に巧みに退いてしまい、こうして一戦目は勝負がつかないままに終わったのだった。

 星空の下。井城をうかがう好は歯がゆかった。姜の抵抗は想像以上に手強い。そして姜王が言った渾敦という名である。さしもの好にもこの名、音は、背筋を凍らしめる。
 <渾敦を招いたと?...馬鹿な、虚じゃ。人に渾敦を招き使うことなどできぬ>
 しかしこの井城に満ちる赤黒い気迫はなんだというのか。
 <姜には渾敦を飼いならす礼術があるというか...馬鹿な!>
 好がひとりわなわなと怒り、また畏れていると、虎甲が寄り添って、
 「娘娘、どうした。体が冷えちまうよ」
 と声をかける。好、虎甲を振り向かずに面を伏せ、
 「そのほう、怖くはないか」
 とつぶやく。
 虎甲は驚いた。好がおびえているのである。それを自分に言う。虎甲はしばらく黙って考え、好の肩を抱いて、
 「娘娘、明日退こう」
 と言う。好は虎甲に身を任せて、
 「そうはいかぬ! そのほうならわかってくれるか」
 「わかんねえよ。なんでそう維持をはる? 渾敦なんていう神にさわっちゃならねえ。人がそれに触れては即滅びる」
 「ここで退いてはわれの負けじゃ。姜に負けるわけにはいかぬ」
 「娘娘は充分に強いよ。だれも娘娘が負けたなんて思うもんか。凶神から離れる。これは人の道だ」
 「それが人の道か」
 「そうだ。王ももう姜に手出ししようとは思わぬはずだ」
 「明日、確かめる」
 「なにを?」
 「渾敦まことに井におわすか否か」
 「娘娘、どうやって」
 「簡単じゃ。見ておれ。真におわすなら、退こう。そちに約束する」
 「もう一戦やるのか。そうしたら、退くんだな」
 「おわせばな。退く。そのほう、戦ってくれるか」
 好に頼まれては虎甲は断れない。
 「ようし、任せてくれ。暴れ回ってくれる」
 と答えて、好を振り向かせると、面を寄せて接吻しようとする。好は虎甲の面をぴしりと叩いて、
 「調子に乗るな。われを抱くにはそのほう、器が足らぬ」
 と笑って、闇に歩き去ってしまった。虎甲、
 「くそう、もう一息」
 と大いに悔しがった。好は充分に虎甲の人と勇気を愛しているのだが、いまはそれどころではない。

 日かわって、朝のまだきに、好は大きな神卓に羊の首を供え、殷の将兵とともに天に祈った。好は地にぬかずいて一心に祈る。天に問う。
 <なぜ天はわれに試練を課す。渾敦をさしむけわれを負かす。それが天命ですか。退けとおっしゃいますか。われが姜を攻むるは誤りとおっしゃるか>
 天は答えない。その沈黙は、好に天が、「しかり」と告げているようにも思えた。好は頭を振って立ち上がる。諸人に告げて、
 「今日の一戦にして勝負をつけるぞ。ものども、心してかかれ」
 と激せば、将兵答えて鬨をつくり、
 「意気やよし! それ、こしゃくな姜なぞ踏み潰してしまえ!」
 と好が言えば、殷兵、大いに勇気を得て井城に攻めかかっていった。

 殷軍は西と南から怒涛のごとく攻め寄せた。姜軍はこれを迎え撃ち前日と同じように挙猿の軍勢の助けを得てさんざんに石矢を浴びせる。姜二、姜三の指揮する西門、姜一、姜斎の率いる南門、ともに抵抗激しく、殷軍は次々に矢を受け石に打たれて死んでいった。殷軍は門に突車をさんざんに打ちつけたのだが、門は固いこと鉄のようで、びくともしない。好このさまに、
 「たかが薄板の門がなぜ敗れぬ!」
 と怪しむも、それもそのはず。門は渾敦のおわす口器の呪禁で固く閉じられているのであった。
 壁を登れば石で落とされ、門は敗れず、火矢は化蛇の水砲に消され、投石はバリアのごときものにはじかれる。好の進退、ここにきわまるかと思いきや、好はひとり決意して白毛の馬に乗り換えて駆け出だし、石矢をくぐりながら南門近くへいたると、
 「やあ姜の祖神帝江、天山の渾敦に殷の婦好がもの申す!」
 と怒鳴りつける。このさまに虎甲驚いて馬を駆け出し、
 「娘娘、なにをするつもりだ!」
 と呼ばわるも、好は聞かぬふりをして、
 「いにしえの強き濁流たるそちも落ちぶれたものじゃ! 人に使われ四方の壁に封じられて満足するとは、そちいつから下っ端の使い魔に成り下がった! 姿を見せい! その醜い六方に伸びる足をさらして、われに跪けい!」
 と天に届かんばかりに怒鳴りつける。虎甲驚いて、
 「娘娘、なんてことするんだ、もうお終いだ!」
 と嘆かんばかりに言うと好を守らんと馬を走らす。

 注記:殷を滅ぼした暴君として知られる紂王は、皮袋に血を詰め、木に吊るし、天と称し、これを射ってあざけり、すなわち雷に打たれて死んだという。神を招くには祭るとそしるの二法あって、そしるのが手早いわけである。

 すると怪異が起こった。井城の南壁ゆらゆらとゆがみ、砂塵巻き起こって、木々は地から引き抜かれて宙を舞い、いたるところで石が爆裂し、天は日食のごとくに暗くなり、どろどろと暗雲渦を巻いた。このさまに姜一が祭卓の口器を見れば、赤く焼けて溶解せんばかりで、周囲の景色は闇からそのかなたへと消し飛んで、もはや姜一にも制御しがたい。
 「殷媚、なんという命知らずか」
 とほとんど驚倒し、この行く末を危ぶむ。
 「娘娘、逃げろ!」
 と虎甲が叫ぶ。好、心のうち大いに畏れて、
 「虎甲、渾敦じゃ、われを助けよ!」
 と馬を帰して逃げ出し虎甲に助けを求める。そこへ突如南門から雷のごとき怪光線発して好を襲う。虎甲、
 「や、娘娘、危ない!」
 と馬を飛ばして好の前に飛び出してかばえば、すなわち虎甲は雷に打たれて灰と化す。
 「ああ、虎甲! 弟よ!」
 好は涙を流して嘆いた。馬から飛び降り虎甲であったものをつかむ。手には白い灰が残るのみであった。好、きっと井城を睨んで憤怒し、
 「ああ! もういやじゃ! 天など死ね! 神々は滅びよ! われは怒った! 姜人! 渾敦よ! よくもわが弟を殺したな! 世界とともに滅びるがよい! 饕餮に食われて溶かされるがいい! 饕餮! 来たれ! 来て食らえ! すべてのものを食ってしまえ! まずわれの肉をささげよう!」
 と天に向かって叫ぶと、饕餮文画の矛をまっすぐに空へ投じ、自らは寝そべってその矛を受けんとする。好の胸元にその矛の切っ先が届かんとするや、天から突如幾筋もの雷が降りそそぎ、雷鳴と虎の怒声が轟いて、一陣の黒い嵐が好に吹きつける。諸人、あっと驚き見れば、巨大な虎のごとき怪獣がその大きな口で矛をはっしとくわえ、砂塵を撒き散らして地に降り立って、矛を投げ捨てると、グルグルと怪異な声でうなり、辺りの景色を爆発したように吹き飛ばしながら、首をひねり、足を踏み鳴らしていた。
 ----なんという貪欲な女だ。なんというわがままで自由で強い女か。われの贄にふさわしいぞ。汝の血を受けよう。われは祭られた。汝を食らってやろう。だが汝はうまそうだ、あとにとっておこう。待っておれ、まず姜人のまずい肉と渾敦の苦い濁流を食らってくるゆえな。
 と好に言う。好、ほとんど忘我したまま饕餮の姿を見れば、その巨大さは象を五頭も合わせたほどで、巨大な口は虎の牙を百本生やし、口の中は炉のごとくに煮えたぎり、黒い四肢は地を溶かし、黄色い閃光に満たされた体はまぶしくてとても直視することができないが、前足の腋の下にある無数の目が、こちらを睨んで金縛りにさせる。
 好饕餮に、
 <食らいなされませ。あなたさまの欲が尽きるまで、世界の果てまでも>
 と拝跪する。饕餮笑って辺りの空気を歪ませると、風に乗って南門の姜軍に襲いかかり、その巨大な口に次々と姜人を飲み込んでいく。
 これには姜一、驚愕して、
 「饕餮を招きしか!」
 と目を見開く。遠く饕餮を見るに、姜人を食らっては飛び巻き起こす猛風は城壁を破壊し、姜一のいる、口器を置いた祭卓のある、望楼めがけて襲ってくる。
 「兄上!」
 姜斎が姜一に抱きつく。震えている。
 <食われる!>
 ふたりは恐怖した。姜一は口器を見やる。
 <饕餮を招いてなんとする。人になんの益がある。殷媚、世界を滅ぼしてまで姜に勝ちたいか。愚かな!>
 姜一は決意する。
 <もはや後戻りはできぬ。祖神よ、われらを、人の世界をどうか守れ>
 姜一すなわち大斧をとって口器に振り下ろしこれを砕く。すれば光線天に伸びて爆風は望楼を破壊し丸い太陽のごときものが現出し、黄色から赤へ、赤から黄色へとその色を代えては辺りの空気を溶かし落雷を一身に集めまた六方にまっすぐな怪光線を放ち、四枚の翼のごときもので羽ばたいて突風を撒き散らし、面のごとき部分には深い闇があって、そこから渾沌たる音、あるいは光、言葉のごときものが嵐のように、濁流のように吹き出して、飛び来る饕餮に向かって宙を飛んでいった。
 「ああ、渾敦と饕餮が戦ってはもうこの世は終わりだ」
 姜と殷の諸人が歎ずる。みな争うのをやめて拝跪する。
 饕餮は渾敦に牙を向ける。
 ----渾敦、久しいな。おぬしも長らく暇であったろう。どれ、久々に戯れぬか。
 渾敦答えて、
 ----饕餮よ、相変わらず荒々しいやつじゃ。われらが戦えば人はすなわち滅びるがな。まあ、よかろう。くだらぬ連中だ。
 ----しかり。人など滅ぶのがよいのだ。おごり高ぶりまた嘆き悲しんでは神々に頼っておのれを信じることを知らぬ。人の道をわきまえて生きることを知らぬ。
 ----しかり。よし、かかってくるがいい。おぬしと争うとは腕が鳴るわい。
 渾敦は羽ばたいて饕餮に突風を吹きつける。饕餮、城壁を崩しながら猛然と駆けて風をかわし渾敦に飛びかかる。二神、ついに衝突して景色は爆裂し落雷と突風は井城の城塞をことごとく崩壊させてぬかずく殷人、姜人は次々に息絶えていった。
 さて饕餮と渾敦の激突は人の世を滅ぼしてしまうのか。これ天命なるや否や。


 最終回 神仙西王母に計って燭陰に祈願するのこと
     燭陰眼を閉じ呼吸して春来るのこと

 つらつら思えば、人の道というものは、われわれの生活する現代においても、また中夏の殷の昔においても、なにも変わるところはない。また賢人の数、および愚かな人間の数においても、なんら変わることはなく、賢人は人の道を明らかにしようと努力して年をとるたびに学び、愚人はそれを妨げ欲におぼれて無為に年をとる。愚人の道をゆくのは簡単であって、そこには伝統がない。それは微妙ではないからである。誰に教わるともなしに、人は簡単にいたずらに獣を食い、金を集めて、賢人を中傷し、殺すことが出来るのである。愚か者には師などいらぬ。学ばぬ者を愚と言うからである。
 愚人の徳は一向に増えることがない。その学はまったく変わることがなく、退屈である。いつの世も悪人は悪人の特質をすべて同じように備え、佞者はいつの世にもまったく同じやり方でへつらうのである。
 さて賢者の徳は受け継がれる。これを伝統、伝承という。ゆえに賢者は死を恐れない。これを修辞して賢者神仙の不老不死などという。まさに人の道とは先人に英知を学びその精微を知り後に伝えることにある。字の学、すなわち文学とはまことこのためにあって、芸術とは人の道そのものである。
 さても殷の昔にも賢者の徳は充分に受け継がれ、崑崙のふもとに蓄積されていたのである。ここにはいにしえの賢人たちが集い、神姫西王母とともに人の世の行く末を眺めていたのである。
 軒轅がいる。高陽がいる。祝融娘娘がいる。尭と舜がいる。賢人たちの円卓を見下ろして椅子に足を組んで座っている女神が西王母である。

 注記:崑崙は古くから神仙の住む聖山とされた。軒轅(ケンエン)以下は中夏神話の聖人たち。西王母(セイオウボ)は『山海経』大荒西経に崑崙の丘のかなたに火炎山あって虎の歯、豹の尾の西王母がいるとある。また桃源滞留説話の一『穆天子伝』では周の穆王を崑崙にもてなす、浦島伝説の乙姫に似る女仙である。

 軒轅は崋山のふもとの騒ぎを聞きつけて、賢人たちと女神を招いたのである。軒轅が言うには、
 「思えば宇宙が開闢して以来、神々は人を祝福し、人は道を見つけてその楽しみに興じ、さまざまな賢人がその道を後の人に伝え、そうして伝承された英知は人を人たらしめ、世界を世界たらしめてきた。人の道とはすなわち身をつつしみ学ぶことである。これを楽しむ人を賢者という。さていま崋山のふもとで殷人と姜人が争っている。おのおの意思強きがゆえに渾敦と饕餮を招かしめ、戦わしめている。いまや宇宙は崩壊せんとしている。これをなんとするか」
 これに賢人たちがさまざまに問答するも、なんとも答えが出ない。このさまに西王母がいらだって、椅子からがばっと立ち上がると、
 「そなたら、なにをうだうだと騒いでおるか! はやくせんとあの厄介ものどもが宇宙を飲み込んでしまうではないか!」
 と賢人たちを叱りつける。軒轅、恐る恐る問うに、
 「姫さま、ではどういたしましょう」
 西王母鼻でせせら笑って、
 「そなたらはいつまでたっても神々の手を焼かせおる。いいかげん自立したらどうじゃ。人が愚かなのは生まれつきなれど、それを賢者に導くことこそ人の仕事じゃろうが!」
 と厳しく叱る。軒轅かしこまって、
 「はっ、おっしゃるとおりでございます」
 と汗をかく。西王母嘆じて、
 「まったく仕方があるまい。こうなってはもはやそなたらの手には負えまい。あの姜一といい好といい、強い人間ほど神に手を焼かせおる。困ったものじゃ」
 と言うと、翼の生えた青い靴を履き、
 「このたびは助けてしんぜよう」
 と言う。軒轅問うて、
 「どちらへいかれるのです」
 「ちと鐘山へな。燭陰に頼むほかあるまい」
 西王母そう答えるや一陣の風に乗って宙を舞いたちまち北の果て鐘山へ飛んでいった。

 注記:燭陰(ショクイン)は龍の王である。北の果て鐘山のふもとに住み、目を開けば昼となり、閉じれば夜となる。息を吹けば冬となり吸えば夏となる。身の長さ千里、人面龍身で赤い(『山海経』海外北経)。

 西王母は鐘山のふもとに降り立つと、燭陰の胴に触って挨拶する。なにしろ身の丈千里の神龍である。その顔にいたるまでもうひと飛びしなくてはならない。
 「久しぶりじゃな、燭陰」
 遥か山の向こうから声がする。
 「おう、西王母か。息災か。こっちに来ておぬしの麗しい顔を見せよ」
 西王母笑って、飛んで燭陰の顔のある丘までひとっ飛び。
 「元気そうじゃな」
 と西王母が言うと、燭陰笑って、
 「おぬしもな。じゃが、いまはおぬしの白い肌を眺める暇もなさそうじゃわい」
 「そうじゃ。渾敦と饕餮が騒いでおる。静めねば宇宙が消し飛ぶ」
 「うむ。見ておった」
 「頼めぬか」
 「おぬしが頼むまでもないことだ。だが渾敦と饕餮を静めるのはわしでも容易ならぬ。手伝ってくれ」
 西王母うなづいて、
 「諾。じゃがどうすればいい」
 「三百里飛んでわしの腹へいけ。合図したら思い切り突け」
 「うむ、わかった」
 西王母、燭陰を拝するとまた飛びさる。燭陰はおもむろにその巨大な両方のまなこをゆっくりと閉じる。
 「そうれ、すべての光よ暗くなれ。すべての力よ闇に帰れ」
 深く閉じる。

 さてそのころ井城の上、空中では饕餮と渾敦が激しくぶつかっては交差しおびただしい閃光と爆風を巻き起こし嵐は姜人を吹き飛ばし雷は殷人を焼いた。またすさまじい爆音は諸人の鼓膜を破り不可思議な見えない光線が人を貫いた。
 この二神の戦いの中にあって、姜一と姜斎はまだ生きていた。姜斎は姜一に抱きつきながらも一心に天に祈祷していた。祝詞を唱えていた。いわく、
 「私たちを生かしてください。私たちはまだ生きたいのです」
 姜一は渾敦と饕餮の争いが、はじめから勝負云々ではないことを見て取っていた。
 <二神争えばすなわち宇宙が滅びる。私はなんということをしてしまったのか>
 と悲しむばかり。
 姜二、姜三も生きていて、姜人を守ろうと奔走していた。姜人を叱咤して集め、ゴゴゴゴと震撼する地を踏みしめて、なんとか一族を生き延びさせようと死力を尽くしていた。渾敦と饕餮は南壁(があったところ)で衝突している。姜二は諸人を率いて北門を開いて逃げた。ほとんどの者が突風に吹かれ、雷に打たれて死んだ。それでも諦めなかった。
 「それ逃げろ! 神々の戦いに人がかかわっちゃならねえ! 見るな! 逃げるんだ!」
 と声を枯らす。
 好はといえば、ただ饕餮と渾敦の戦いに見入っていた。二神の圧倒的な力に魅入られ、その閃光と爆裂する景色の美しさに忘我していた。
  <なんと激しいのか。なんという熱さじゃ。これが神々の力か。ああ、美しい。われにもあの力が欲しい。ああ、あのようにまぶしい光をまといたい。饕餮よ、われを食らいたまえ。われをあなたの光に溶かし、爆裂の中にわれを置け...>
 と神を羨望するばかり。殷の諸人は逃げ惑う者、ただ拝跪して死を待つもの、狂って暴虐に走る者、もはや収集がつかない。
 そのとき唐突に陽が食して辺りが真っ暗になり暴風、雷、轟音がやんで辺りを静かな気だけが覆った。この異変に気づいた饕餮、渾敦に問うに、
 ----渾敦、これはなんとしたことだ。
 渾敦答えて、
 ----ふん、燭陰が狸寝入りをはじめよったらしい。
 饕餮残念そうに、
 ----どうにも力が入らぬ。燭陰め、余計なことを。
 ----わしの炉も冷えてきよった。寒くてかなわぬ。
 燭陰がまぶたを閉じれば、すなわち万物は力を失い、冷えていく。強大なる饕餮も渾敦もこの物理には逆らえぬ。
 ----ここまでか。
 と饕餮が歎ずる。渾敦が笑って、
 ----まあ久しぶりに暴れて楽しかったわい。よしとしよう。
 饕餮も笑って、
 ----そうだな。今度われらを呼び覚ますような強い人間が、いつ現れるか、だがな。
 ----もう現れぬかもしれぬな。いまの世界を見よ。人はどんどん冷めていく。弱く従順で、自由を知らぬ。求めもせぬ。われらの力に憧れるような人間は、もう出ないかも知れぬ。
 ----ふん、つまらぬ。人とはそうもつまらぬものになっていくのか。寂しいことだ。
 ----賢愚を誤り偽善を尊び無色無臭に冷めていくばかりだ。こんな人間どもなど、ここで滅んでもよかったのにな。
 饕餮も渾敦も大いに笑った。
 やがて鐘山で西王母が燭陰の腹を拳で痛打する。燭陰むせるようにして息を吐く。
 <痛いのお。西王母め、加減というものをしらん。これでは宇宙が凍るぞ>
 と燭陰が危ぶむ。燭陰が吐いた息は宇宙を駆け巡りあまねく冷やしていく。すぐさま崋山にまでいたる。寒風は饕餮と渾敦をも凍らしめ、猛風が二神を再び四方の果てに追放した。
 <いかん、世界が凍っては事じゃ。少し吸っておこう>
 燭陰はゆっくりと息を吸った。西王母、これを見て喜び、
 「おお、燭陰、さすが粋なことをしおる。これで人の世も少しは明るくなろう」
 と少女のように笑って、天の下、人の世界を眺めたのだった。

 やがて燭陰の吸気が崋山にいたる。井城で争った人々をその暖かい神の慈愛が包むのである。この風を浴びて生き返らない人はいない。時間を戻して元に戻らない城壁、家屋はない。この暖かみに打たれて春を感じ、朗らかに改心しない人はいない。神の英知を浴びれば、すべては好転するのである。すなわち灰となった虎甲も、死んだ姜人、殷人も生き返り、破壊され尽くした井の街は瞬く間に元通りになり、姜人、殷人の全員が、争うことの無益を知ったのであった。
 好は生き返った虎甲に抱きついた。
 「おお、弟よ、よくぞ帰った」
 虎甲は辺りをきょろきょろと見回す。よくわからぬが、何かすべて終わったような気分である。
 「娘娘、退くって約束したよな」
 好はうなづいて、
 「おお、したとも。悪かった。そちに悪いことをした。われは恥ずかしい。約束は守らなくてはな」
 と虎甲を抱擁して離さない。

 好は井城に出向いて姜一と再び会った。
 「姜の礼、勇気、見事じゃ」
 と言って、拝跪した。姜一は恐縮した。
 「婦好、なにをする」
 好、ぬかずいたまま、
 「われは詫びたい。恥ずかしいのじゃ。父上の墓をつくるためになぜ姜人を狩るのか、考えてみれば、はじめからわれは不審に感じてはおったのじゃ。それなのにおのれの力を誇りたいばかりにおぬしたちと争った。ために渾敦と饕餮を招いてしまった。いま神々の情けを受けてわれは生きてここにおる。ゆえに恥ずかしい。姜の礼は見せてもらった。勇気は天に届くばかりに高い。われの勇気なぞ地にぬかずくほかない。父上にその愚を説く勇気もなかったのじゃ。じゃがいまは違う。われは殷都へ帰って父上を説く。聞かぬなら父上と争ってもいい。人牲の礼を改めることもしよう。これにて姜に、天に償う」
 と説いた。そこで姜一の側にあった姜斎は好の手をとって、面をあげさせ、
 「そんなに悪びれることはないわよ。好さん。あんたは強かったわ。私はあんたを敬うわ。あんたの誇り高さ、強さ、勇気、美しかった。神々もきっとあんたを気に入っているわよ。さあ、私たち、仲良くなりましょう。友達に。それが私たちの天への償い。ううん、人は別に神々にへつらうことなんかしなくていいのよ。人は人の道を行けばそれでいいのだわ」
 と言って、好に笑いかける。好も笑ってふたりは抱き合ったのだった。
 さてもここに一件の落着を見て通俗小説『口』の終わり。人は人の道を知りそこに英知の光を見て歩んでいく。おのれの力と自由を信じてである。これぞまさに遥か昔から伝承されてきた真理そのものなり。


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