by コジロウ with 邪悪サイド
その日は妙に空気が乾いていた。
その青年はもう長いこと屋外に設けられているテーブルに肘をつき、冷め切ったコーヒーを不味そうにすすっていた。さすがに間がもたなくなってきた頃、不意に声を掛けられた。まったく見覚えのない相手だった。
「こんにちは。何か途方に暮れていますね」
スーツを着込んだ、見た目サラリーマン風のその男は、気さくな、親しみやすい声色でそう言った。
「ええ、見ての通りでして。実は今、私はある重要な選択を迫られているのです」
「重要な選択?」
少し間があった。「それはどういう事ですか?」
「つまり、私はこれから天国に行くか、地獄に行くか決めなくてはならないのです」
「えっ…、そんな事が、自分で決められるんですか? いや、そんな事より、これからってどう云う事ですか?」
「それはですね…」
長いあいだテーブルに肘をついた体勢で凝り固まった身体をほぐすかのように、青年はゆっくりと立ち上がり、そしてスーツの男を真近に、正面から見据える形となった。
しばらくの間、その場に立ち尽くし薄笑いを浮かべていたスーツの男だったが、やがて、その表情に苦し気な色を浮かべ、能面のように表情から色が失われた。
「すいませんねえ。やはり、地獄に行くことに決めましたよ」
諦め、あるいは決意とも取れる一言を発した青年は、禍々しい大振りのサバイバルナイフでスーツの男の身体に何箇所もの凄惨な傷を残していた。
スーツの男が絶命するさまを見届けた青年は、カップに残ったコーヒーの最後の一口をすすった。
「とにかく地獄に行くぞ…」
一言そう呟いた青年の「裂けた腹」から、薄ピンクの臓物が零れ落ちた。
倒れているスーツの男の手には、鈍い光を放つ出刃包丁が握られていた。永年に渡り使い込まれたと思われるその出刃包丁には、ギトギトとした脂と生物の肉片がこびりついている。不意打ちを受けたスーツの男は、その生命の最後の灯火をもって反撃を試みたのだった。
青年は遠退く意識のなか、恍惚とも不安とも取れる感情に自身の胸が熱くなるのを感じながら、永遠にその意識を失った。
再び、もう二度と戻ることのない意識が、暖かな触覚が、鮮やかな視覚が、最後と思い飲み干したコーヒーの味覚が、嗅覚が、そして、聴覚が、気高くも安っぽい、人形のようなキューピットたちの奏でるファンファーレと共に舞戻ってきた。隣には、薄笑いを浮かべたスーツの青年が佇んでいる。
「…!?」
果たして、青年はこの結果に満足出来るのだろうか?了